刊本・自筆稿本等

六々園漫録 第二巻

甲斐の国人

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102262(同上)

○甲斐の国人

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102263
撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102264

(ページ落丁?本ページの「なりよつて二ツながら左に記す」が、どこから続くか不明)

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102265
撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102266
撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102267

狂歌堂の三笑

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102268

○狂歌堂の三笑
おのれことし戊子の春江戸にものしけるとき狂歌
堂をとふらひて何くれと物かたりどもしけるに
主人アルジ翁のいふやう世に俳諧師ばかり拙きものは
侍らぬなりかの尾張の士朗陸奥の乙二なといへる
さしも此道に名高き人々のかきたるものを見る
にもただ笑ふにたへぬことのミ多く候なりはやう
久老がものしらぬ誹諧師とかきたるもげにことわり
におほえ候といふにそおのれもまことにさにて候
なりたゝし俳諧師につきてものしらぬものハ

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102269

狂哥師にこそ候らめといへば翁もまたかしら
がきをしてさなりさなりとて笑ひぬ此時清水浜臣も
きてありけるが此物かたりをきゝてこハ阿波のまら
うどのよくいはれたり尚いはば其狂哥師につぎても
のしらぬものハ和歌よミこそ候らめといひける
にぞ翁もおのれもふたゝびげにげにといひてもろ
こゑにぞ笑ひあへりける

*ことし戊子の春 文政十一1828年が該当。
*尾張の士朗 井上士朗(いのうえ しろう)は江戸時代後期の俳人、医師。医師として活動する傍ら、加藤暁台門下で俳諧活動を行い、暁台の死後は名古屋の俳壇を主導した。
(wiki)
*陸奥の乙二 岩間 乙二(いわま おつに、1756年(宝暦6年)- 1823年8月14日(文政6年7月9日))は、江戸時代後期の俳人である。本姓は亘理、名は清雄。号は松窓。(wiki)
*久老 荒木田 久老(あらきだ ひさおゆ、延享3年11月21日(1747年 文化元年8月14日(1804年は、江戸時代中期から後期にかけての伊勢神宮祠官、国学者。初名は正恭、後に正董と名乗った。通称は弥三郎、主税(ちから)、斎(いつき)など。号を五十槻と称し、家号を五十槻園(いつきのその)と称した。(wiki)
○狂哥師にとって俳諧師、和歌師(歌人)は最大のライバルだったことがよくわかるエピソード。

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