刊本・自筆稿本等

六々園漫録 第二巻

今の狂歌?たしむ輩

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102251(同上)

○今の狂歌?たしむ輩しきりにメデ奇を喜
ひて或ハ古事をもとめ或ハ古語を拾ひなとするほど
に却て歌のスガタ調ハずはてはてハ何ことも聞わかれぬやう
なる歌さへ出くること多きそかし是かの孟子に道在爾
而求諸遠事在易而求諸難といへる類にして最笑ふ
へきなり和哥にもさるたくひあれハにや芦庵のよめるに
  やすからん(あと判読不能)

*道在爾而求諸遠事在易而求諸難 道は近きに在り。しかるにこれを遠きに求む。事は易きに在り。しかるにこれを難きに求む。(もの事の本体は至ってシンプルなものである)(孟子 離婁上)
*芦庵 小沢芦庵 江戸中期の歌人、国学者。

和歌にまれ狂哥哥にまれ

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102251(同上)

○和歌にまれ狂哥哥にまれ(以下十一字ほど解読不能)
つ?句をなし?今ハ????心うミて空し??
ぬるをあ??朝にいたりてさノミ心を??用ひさるに
ふと妙句をうみ出すことあるものなりもろこし人の詞
に乾坤有清気散入詩人脾といへるもけにとぞおほ
えたる

*乾坤有清氣 散入詩人脾  乾坤 清氣有り 散じ入る 詩人の脾 貫休(貫休 中国,唐末五代の禅僧で詩画にすぐれた。字は徳隠,号は禅月大師。浙江【ぶ】州の人。(コトバンク)
*和歌でも狂哥でも妙句というものは思い詰めたときよりもふとひらめきがあって思いつくことが多い。

おのれある

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102251(同上)

○おのれある

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102252

*春足狂哥「花の雪馬にはのらし道しりて/家にかへらんことのうけれハ(本HPの手鑑3-30-5参照)」の典拠について。

おのれ一とせむ月十日はかり

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102252(同上)

○おのれ一とせむ月十日はかり初春のよろこひ申さんとて某
の殿へまかりけるに此殿はいたく和歌を好ませ給ひて此
日もさる道の人々これかれつとひをり(以下虫食い多し)
(誹諧体の和歌についての議論か?)

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102253
撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102254

去年丁亥六月

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102254(同上)

○去年丁亥六月(偽柳亭種彦が訪ねてきたこと)

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102255

*柳亭種彦 「偐紫田舎源氏」の作者。

蜀山翁ハいとわかきほどよりの才子

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102255(同上)

○蜀山翁ハいとわかきほどよりの才子にてそありけるさるハか
の世にもてはやすめる寝惚文集といへるハ此人また十七の
ときの作あるを平賀鳩渓あながちにすゝめてかく板に
ハゑらセたりけりとそまた寝惚といへる号ハ其ころ世に
流行たる童謡の詞をとられたるなりと吾師翁もの
かたりなり

*平賀鳩渓 平賀 源内(ひらが げんない、享保13年(1728年) – 安永8年12月18日(1780年1月24日))は、江戸時代中頃の人物。本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家。源内は通称で、元内とも書いた。諱は国倫くにとも、または国棟くにむね、字は子彝しい。数多くの号を使い分け、画号の鳩渓きゅうけい、俳号の李山りざんや、戯作者としては風来山人ふうらいさんじん、浄瑠璃作者としては福内鬼外ふくうちきがい の筆名を用い、殖産事業家としては天竺浪人てんじくろうにん、生活に窮して細工物を作り売りした頃には貧家銭内ひんかぜにないなどといった別名も使っていた。(wiki)

???演義三国志

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102255(同上)

○???演義三国志

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102256

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