(題字) 六々園漫録二 老木の梅
老木の梅
○老木の梅
ことし文政十一年五月吾師の君
二条左のおほいまうち君の御もとより御歌にゑほうし
水干をそへて賜ハりかつ宗匠の号をさへゆるされ給ひ
たりさるハとしころいそしみ給へる?らうの今しも
かうあらハれぬることよと末が末なるおのれにまでもかた
しけなくよろこほしきことかきりなし其御歌
咲そめて花めつらしき梅かゑハ
なほたおりても見はやとそおもふ
御かへし
たをりてもかひあるへくもおもほえす
老木の梅の色香うすきハ
かくとつたへきゝけれハやがて師の君の
御もとへ申つかハしける
おほかたのにほひナリセハ雲ゐまて
いかてしられんあつまなる梅
○雅望が「二条家左おほいまうち君」から宗匠号を賜わり、披露宴までしたという一件については、本HPの手鑑3-2-3、3-3-1、3-3-2参照。このどんちゃん騒ぎは結局のところ詐欺事件だったことがあとで判明する。詳細は粕谷宏紀著『石川雅望研究』P313,P333参照。
よのなま歌よミたち
よのなま歌よミたち狂哥とさへいへハたゝむけに婢
陃ものとのミこゝろえてものかたりのついてことにハ何かしハ
狂歌師よくれかしハ(?)され哥よみよなとこともなげに
うちいふこそいともいともこゝろえねさるハ古今集巻首の
年の内に春ハきにけり一トセを云々貫之朝臣の桜ち
るこの下風ハ寒からて云々なといへるたくひ則今世にはやる
所の狂哥にして吾輩の常に師とし学ふ所なるをや
よく其よめる哥ともを見てともかくも評セるかし
なま歌人たち
万葉集巻十六
○万葉集巻十六 戯嗤僧歌
法師等か鬚の剃り杭馬つなき
いたくな引そほうしなからん
嗤咲痩人歌
石麿に我もの申す夏痩に
よしとふものそむなぎとりめセ
大神朝臣奥守報嗤歌
佛造真朱(マソニ)たらすハ水たまる
池田の阿曽の鼻上をほれ
古今集 俳諧歌
山吹の花色衣ぬしやたれ
とへとこたへすくちなしにして
秋風にほころひぬらし藤袴
つづりさせてふきりぎりすなく
是ら??其代の狂哥にあらすして何そやされハ??(狂哥?)
堂真顔の今の狂歌ハ即いにしへの俳諧なりとて
ひとりさる名をおおセて大江戸にひちもちをはるもい
はれなきにハあらさるなりさて俳諧ハ史記の滑稽伝に
骨稽ハ俳諧なりとありて即かく戯れめきたるを
いふなり但し俳の字誹に作ることハ随書?侯白字君
素好為誹諧雑説とありていにしへハ誹諧ともに通ハ
し用ひいふなりおもふに五老翁歌場翁なとも
即?????にしていはゆる好為誹諧雑説もの
になん???
*戯れて僧を嗤ふ謌一首 法師らが鬚の剃り杭馬繋ぐいたくな引きそ法師は泣かむ(巻十六3846)
*嗤咲痩人歌 やせたひとをわらふうた 石麻呂に我もの申す夏痩せに良しというものそ鰻捕り食せ 大伴家持 (巻十六 3854)
*??朝臣奥守報嗤歌 佛造るま朱(そほ)足らずは水溜まる池田の朝臣が鼻の上を掘れ(巻大守奥守(おおみわのおきもり)十六 3841)
*古今集俳諧歌 山吹の花色衣主や誰問へど答へずクチナシにして 素性法師 古今集巻十九俳諧歌 読人不知1012)
*秋風にほころひぬらし藤袴つづりさせてふきりぎりすなく 巻十九俳諧歌 1020)
*史記の滑稽列伝 滑稽列伝は、『史記』の列伝の一つで、為政者を巧みな弁舌で諌めた3人、斉の威王代の淳于髠(じゅんうこん)、楚の荘王代の優孟(中国語版)(ゆうもう)、秦の始皇帝代の優旃(ゆうせん)の伝記を含む。太史公は、「世俗に流されず、威勢や利得を争わず、上にも下にも拘泥することなく、それで人も害を受けない。よって、その道が広く行き渡った。そのゆえに『滑稽列伝第六十六』を作った」と述べている。(wiki)
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