刊本・自筆稿本等

六々園漫録 第一巻

おのれかまた六樹園にいらさりしほとにたゝうちおもへるまゝをよみ出たる哥の中一?二つ

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102224(同上)

○おのれかまた六樹園にいらさりしほとに
たゝうちおもへるまゝをよみ出たる哥の中
一?二つ
   逢恋に
  わかれてははなしたくなり逢見てハ
  はなしともなき衣々のそて
   寄書物に
  ???むかしもかくや好色の
  賤?見そめたるもんせんの人
   始皇本紀をよみて
  秦の代のつひほろひしもことわりや
  始皇の阿房超高の馬鹿

わかれてははなしたくなり逢見てハ/はなしともなき衣々のそて
*「はなし」が平仮名で書いてあるところがミソ。「はなし」には「話し」と「放し」の二通りが考えられる。「(恋しく思う人と)別れていると話がしたくなり、一旦逢ってみると話もしたくなくなる衣と衣の袖よ。(「はなしともなき衣々のそて」は「放したくもな後朝の袖」がかかっているか?このややこしいところが面白い。

秦の代のつひほろひしもことわりや/始皇の阿房超高の馬鹿
*阿房宮 阿房宮を建設した始皇帝 阿房宮の規模については、諸説がある。その殿上には1万人が座ることができ、殿下には高さ5丈の旗を立てることができた。殿外には柵木を立て、廊下を作り、これを周馳せしめ、南山にいたることができ、複道を作って阿房から渭水を渡り咸陽の宮殿に連結した。これは、天極星中の閣道なる星が天漢、すなわち天の川を渡って、営室星にいたるのにかたどったものである。なおも諸宮を造り、関中に300、関外に400余、咸陽付近100里内に建てた宮殿は270に達した。このために民家3万戸を驪邑に、5万戸を雲陽にそれぞれ移住せしめた。各6国の宮殿を摹造し、6国の妃嬪媵嬙をことごとくこれに配し、秦の宮殿を造って秦の佳麗をこれに充てた。そこで、趙の肥、燕の痩、呉の姫、越の女などそれぞれ美を競って朝歌夜絃、「三十六宮渾べてこれ春」の光景をここに現出せしめた。唐代詩人の杜牧「阿房宮賦」(zh)に詠われたのは、必ずしも誇張ではない。(wiki)
*「馬鹿」の語源 趙高が宮中に「珍しい馬がおります」と鹿を連れてきた。 胡亥は「丞相はどうかしたのか、これは鹿ではないか」と言ったが、「これは馬です。君らはどう思うか?」と黙り込む群臣に聞いた。趙高の権勢を恐れる者は馬と言い、屈しない者は鹿と言った。趙高はその場はちょっとした余興ということで納めたが、後日、鹿だと答えた官吏を、軒並み捕らえて処刑した。このエピソードが「馬鹿」の由来の一説である故事成語『指鹿為馬・鹿を指して馬となす』である。(wiki)
*意味 秦王朝があっという間に滅びてしまったのも道理である。始皇帝の阿房宮の故事、超高の馬鹿の語源にまつわる故事ではないが、「あほう」と「馬鹿」がそろっていたのだから・・・・。(「阿房」に「阿房宮」と「阿呆」。「馬鹿」に「馬・鹿」の故事と「馬鹿」がかける。。
○知性に裏付けられた強烈なウイット。こういうのを本当の狂歌という。六々園漫録によると六樹園入門前の作らしいが春足さんの「表歌(おもてうた)」(代表歌)といえる。

六々園記 六樹園翁作

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102224(同上)

○六々園記 六樹園翁作
六々園は阿波国遠藤氏の号なりとはさかひはる
けき江戸のあたりにてもしらさるものハあらさなり
されとこゝらの山川をへたてぬれはルウフルに聞とり
かたく遠眼鏡のおよふへきならねは六々といふ
ゆえよしなとハいかなることともしるものなしおの

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102225

れいまたかの国にゆきいたらされとかねて日本の絵
図をうち見てその方角をはかりミるに鯰魚の腰
のあたりとそしりぬる今ハむかしおのれ此あるしの
あつまくたりにおのれむさしのゝわたりに傾蓋して堀か
ねの井のふかきこゝろを汲ミてうれしく水のちかつ
きとハなりぬそれよりのちハた田のもの鴈のひたふる
に文のゆきかひしけれは八雲やへかたのたかきをくみ
たて泉水?つき山には難波津あさかy山をならへ

すゑたり四季にいろある木草をうゑわたして楢の
葉のおちはをひろひ近體の花実を賞すもとより
鈴の屋の門にあそひてふりにし道をたつね
つれは世になることハ韓文公もあきれつへしそもそも
陽春白雪を口に誦して高謾に鼻をいからすハ
なへて学者のならひなるをひとり歌膝の丈六を崩し
て下里巴人のいけそんさいなるされ歌をしもとなふ
めるは小乗をもて凡夫をみちひく仏の方便にや
比すへからむ此あるしのつゝしり歌のたへなるに感じて
偏袒右肩合掌してむかひぬるハなにかしくれかしを

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102226

始めとして新町橋のとゝろとゝろと三十六人の歌よミ人
月はかりのほとにあつまりぬさてなんこのひとつらに六
々の名をおはすへくなといひあへるときまつ此道
のおやにしあれはとて終にあるしのそのの号を
さへ六々とはよひそめけるさるハ四条大納言もうけひ
き給ふへく石川丈山もうなつきつへしおのれとほき
世界にうまれなから猶このそのゝゆかしくてとひたち
ぬへきこゝちするもあるしの園の花鳥のことなる
いろねをしたへはなるへし           
                    宿屋飯盛

*ルウフル 拡声器、つまりメガフォン。
*歌膝(うたひざ) 歌人が短冊を持って歌を案ずる時にするように片膝を立てて座ること。立て膝。
*つづしりうた(嘰り歌) 二句ずつ切れ切れに歌うこと。またその歌。(源・末摘花に用例)
つづしる 時間をかけて少しずつ食べたりしゃべったりすること(日本国大)
*偏袒右肩 仏語。僧が、相手に恭敬の意を表す袈裟の着方で、右肩を肩脱ぎし、左肩のみを覆うこと
*四条大納言 藤原公任のこと。
*石川丈山 安土桃山~江戸初期にかけての武将・文人。
軸物20230723-J3と同じ内容

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