刊本・自筆稿本等

六々園漫録 第一巻

書箱に春画をいるゝ事

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102207(同上)

○書箱に春画をいるゝ事

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102208

六帖園雅雄の話に六樹園翁蔵書甚とめり一年
虫干の比ゆきてともに書を曝しけるにフミハコことにお
のおの春画の双帋一部つゝをいれおかれたりはやう
天明年間に醒(*)々老人の東(*)都十八大通を撰ミける
時も此翁をもて一の人となしけるもむへなる
かなとて笑ひけるを其後蜀山人の随筆南畝莠言
といふ書を得てよミけるに漢土にもある士人の蔵
書中其櫃ことに必春画一冊つゝ入置けれハ或人其
ゆゑをとふに是火災をよくる厭勝マジナヒなりといへるよ
し青藤山人路史に見えたりとそ翁の春画を

いれおかれたるもひたふるのすきこゝろのことにハあらて
かゝることなとによられたるにこそとて再ひ笑ひぬ

*醒(*)々老人 山東 京伝(さんとう きょうでん)、宝暦11年8月15日(1761年9月13日)~- 文化13年9月7日(1816年10月27日))は、江戸時代後期の浮世絵師、戯作者。
*東(*)都十八大通 十八大通(じゅうはちだいつう)は、江戸時代の代表的な通人と呼ばれた人々のこと。その多くは札差であった。ただし、「十八」という数は「八百万の神々」「江戸八百八町」などのように、多数という意味、または吉数に因んだものと思われ、人数にも諸説がある。(ただし六樹園は見当たらない)
*南畝莠言(ナンポユウゲン、ナンポシュウゲン 随筆 江戸後期 作者 大田南畝
*青藤山人路史  巻上・下 青藤山人撰(早稲田大学 古典藉データベース)

○要旨 六樹園の蔵書は甚だ多かった。ある年、六帖園雅雄が虫干しを手伝ったところ本箱毎に春画が一巻ずつ隠されているのを発見した。さては「東都十八大通」の中で此翁がこの道の一の人(春画の収集家という意味か?)と記されているのも肯なるかなと笑ったが、後に 「南畝莠言」を読むと、中国でもある士人が櫃ごとに春画を入れてあったとのこと。それは火災をよけるまじないになるからということであった。さて六樹園翁もいかなる理由やありけん。知らず。「徒然草」十段目「後徳大寺の大臣」を連想させる秀逸の章段

コメント

タイトルとURLをコピーしました