刊本・自筆稿本等

六々園漫録 第一巻

五山堂ノ詩話にいへること

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102206(同上)

○五山堂ノ詩話にいへること
(本文漢文)五山堂詩話に云ふ。麻姑米を以て地に擲ち皆、丹砂と成る。方平笑ひて曰く、姑故年少なり。吾れ老たり。復た此の如く狡獪変化を作すを喜ばず。是上等ノ仙人、奇を貴しとせざるなり。今の詩流は只だ奇に出で以て人に赫んことを図るのみ。我れ恐らくは方平に笑はれん。王弇州云ふ、奇過ぐれば凡と知言か。詩のミならんや狂歌もまたかくそありける。

*奇を衒うことは一時人の注意を引くが結局はあきられる。狂歌もおなじことが言えるという教訓。

河上白翁と桐の雅雄との歌の話

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102206(同上)

○河上白翁と桐の雅雄との歌の話

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2102207

去年八月河上白翁六々園判者にて春花秋虫といふ題
を出して人にすゝめて哥よませけるに今ハ其巻な
りてあすなん点とりにつかハしなんといへるゆふへ
ゆくりなう針業右大尽と六帖園雅雄とかとふら
ひいきけれハ白翁いひけらくこたひの詠藻にたゝ
二子のもれ給ひぬることのミをなんいと念なきこと
におもひ侍りけるに今しもかくきあひ給ひたるハい
ミしき幸ひなりとくよミてくハへ給へされと巻頭の
哥ハはやうおのれよミて侍るなれハたゝ軸より已下
とのミおほしてものし給へかしとさもほこりかにいひ

けれハ雅雄しはしかしらうちかたむけつゝいな巻頭
はおのれつかうまつりてさふらふぬしにハ軸にてそ侍
らんとてやかてかの巻にかきくハへておのれのもとに
おこせて点ものしけるにのちにきけハ則巻頭ハ雅
雄巻軸ハ白翁にてありけるとそ
 頭云  入相のかねつくひゑの山法師
      花の王にもまゝならぬなり
 軸云  嵯峨のおく琴の音のする松虫を
      たつぬる人もつゆの仲国

*巻軸 ② 巻き物の、軸に近い終わりの部分。書物などの終わりの部分。巻尾。③ 巻き物や書物の中の、すぐれた詩歌や句。一巻の中での、秀逸な文句。すぐれた部分。(コトバンク)
*まゝならぬなり 「賀茂川の水、双六の賽、―、是れぞ我が心にかなはぬ物と、白河院も仰せなりけり」〈平家・一〉(コトバンク)
*花の王 花のなかで最もすぐれている意から、1 牡丹のこと。2 桜のこと。(goo辞書)
*仲国 亀山のあたりちかく、松の一むらあるかたに、かすかに琴ぞきこえける。峰の嵐か松風か、たづぬる人の琴の音か、おぼつかなくは思へども、駒をはやめてゆくほどに、片折戸したる内に琴をぞひきすまされたる。ひかへて是をききければ、すこしもまがふべうもなき、小督殿の爪音なり。楽はなんぞとききければ、夫を想うて恋ふとよむ、想夫恋といふ楽なり。(平家物語 小督)
*雅雄 六帖園雅雄1794~1830 江戸時代後期の狂歌師。寛政6年生まれ。上野(群馬県)高崎の商人。五側の判者をつとめ高崎水魚連の中心人物として活躍した。文政13年8月13日死去。37歳。姓は大谷。通称は桐屋三右衛門。別号に桐雅雄、桜の壺。(デジタル版 日本人名大辞典+Plus )本ホームページ手鑑1-42-1「上毛野雅雄書簡」参照。
*石川雅望『雅言集覧』の本居大平序文は手鑑2-12-3「雅望書簡」によれば、当時春足宅で長期滞在していた雅雄が春足に勧め、春足が大平に取次ぎ、成功したことがわかる。本ホームページ六々漫談「雅言集覧と春足」参照。

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