六々漫談

『雅言集覧』(石川雅望著)と遠藤春足の関係

数度のやり取りを経て、大平の序文を受け取る

2-14-2 石川雅望書簡 文化14年?1月4日付け

雅言集覧序文の事に付、御心配謝し奉り候。少々校合すりさし上候。よろしくお取計らい下さるべく候。

遠藤 これは「雅言集覧序文のことについて御心配いただき感謝します」ってことですね。次の「校合すり」って何ですか?

抜六 「校合」とは、本来幾種類もの本文を見比べてその異同を調べることなんですが、ここでは「すり」と続きますから、今の校正刷りと解釈していいんじゃないでしょうか。

遠藤 校正刷りということは、原稿はほぼ完成したってことですね。あとは誤植などがないかをチェックするだけだと。続きは「校合すりを差し上げましたから、よろしくお取りはからい下さるようお願いします」とありますね。

抜六 要するに、大平さんのところヘ転送して、序文を書いてくれるようにお願いしてほしいってことですね。

遠藤 なるほど。


2-13-4 石川雅望書簡 文化14年?2月5日付け

先達て雅言集覧二十枚ばかりすりたてお届申し上げ候。いかが相違無く着いたし候事や、承りたく候。序文の事、これも其の後いなや、承り申さず候。ひとへに御面倒ながら、かの先生へお頼み下さるべく候。貴兄のも一同に遣わされたく候。

抜六 これは「先ごろ雅言集覧のすりたてを二十枚ばかり(春足さんのところへ)お送りしましたが、ちゃんと届きましたでしょうか。(大平先生へお頼みした)序文の事もどうなったかお伺いできておりません。ご面倒ながらひとえにお願い申しあげます。春足さんの序文も一緒にお送り下さい。」という内容です。

 これを見ると前に春足さんのところへ送った校合すりについての返事がどうも遅れていたようですね。

遠藤 あれ…、もしかして、春足は大平さんにまだお願いしていない感じでしょうか?

抜六 いえ、そうではなくて、春足さんは大平のところへ依頼文と校合すりをすぐ送ったのに、大平の返事がなかなか来なかったというのが真相でしょう。これについては次の書簡を見てもらえばわかります。


2-13-3 本居左衛士書簡 文化14年?4月18日付け

抜六 この書簡の差出人は本居左衛士・清島ですね(①)。清島は大平の次男の名前で、左衛士は通称です。要するに大平の次男からの手紙というわけです。

 そして、この書簡の最後(②)には「右の条、御返事申し入れ候よう、親ども申しつけ候ゆえかくのごとくに御座候」と書いてあります。「右の条」というのは書簡内に記載した石川雅望についての質問を指すのですが、それを「親ども申しつけ候ゆえ」とあるので、親である大平が聞けというのでお尋ねしたいということです。つまり、この書簡は清島が大平の代筆をしているわけですね。

遠藤 わかりました。その前提で読みますね。

同上

一つ。この度お見せの雅言集覧校合すり、初のかた一見いたし候ところ集ぶり至極よろしく相見え申し候。それに付き、お頼みの通り、右、序文いたし、相認め上げ申し候。

遠藤 おおっ、これは「校合すりを一見したところ集まりぶりがなかなかいいので序文を書いた」ってことですよね。

抜六 そうです。雅言集覧は「雅言」の用例集ですから、その収集の仕方が気に入ったということでしょうね。

遠藤 春足もホッとしたでしょうね。

抜六 でしょうね。でもね、ちょっとしたおまけがあるんですよ。その続きを見てみましょう。

同上

甚だ多用中お断りも申し入れたく存じ候へども折角遠方お頼の事ゆえと存じ、作文いたし申す事に御座候。

遠藤 これは「多用中でお断りもしたかったのだけれど、遠方お頼みの事だからお断りするのも失礼と思い引き受けた」ってことかな。なんだかもったいぶった言い方ですね。

抜六 まあ何しろあの本居宣長の後を継いだ人ですから、あまり知らない人の序文を引き受けたら権威にかかわると思ったのかもしれません。

遠藤 えっ、雅望は狂歌師として有名だったんじゃないですか?

抜六 次を見てみてください。

同上

さて、右、集覧作者六樹園、俗称別号等お書き記して相わかり申候へども、家業は何をいたし候人や、身柄は町人にてや、右等今一応承らで?候。さて雅望は何とよみ候や、実名は文字相しれ候ところ、よみさま当時はいろいろとよみ候ゆえ右も承り置きたく候

遠藤 ふーむ、これは本当に知らなかったのかなって感じですね。

抜六 そうだと思います。純粋に知らなかったんでしょうね。


2-14-3 石川雅望書簡 文化14年6月7日付け

然ば大平先生序文お届け下さり千万にも大慶、謝し奉り候。偏に御心配?感佩致し候。

遠藤 これは大平の序文が春足さんを経由して届いたということですか。

抜六 「お届け下さり」とありますから、そう解釈してよいと思います。

遠藤 この手紙が六月七日付けですから四月十八日付けの大平の手紙からでも大方二ヶ月経っていますね。

抜六 そういうことです。いろいろありましたが、やっと届きました。

遠藤 これで一件落着ですね。

抜六 いやいや、本当はまだ続きがあるんですが、長くなりますので、今回はここまでにしましょう。

 最後にお断りしておきますが、以上の雅言集覧序文に関する雅望と春足のやりとりの概要については、既に粕谷宏紀先生が『石川雅望研究』の中で述べられています。ただ、一部根拠の不明なところがありました。今回の調査の結果、それが確かめられたと思います。

(もう少し続きます)

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