六々漫談

江戸吉原の桜 期間限定の桜並木 春足が詠んだ吉原の桜の狂歌3首

江戸吉原の桜並木、大坂新町の桜並木

抜六 これまで「吉原十二時じゅうにとき」、「世間を賑わせた花魁おいらん花扇はなおうぎ」について取り上げてきました。今回で『大吉原展』にかこつけたお話も最後になりますが、最後に「吉原の桜」について取り上げていきましょう。

 さて、遠藤さんは学生時代を東京で過ごしたそうですが、東京の桜の名所といえばどこが思い浮かびますか?

遠藤 東京で桜といえば、やはり上野公園だと思います。私が大学生だった2000年前後は、お花見の場所取りにブルーシートがたくさん敷かれて、若い方が場所確保のために朝から座っていたような記憶があります。

抜六 上野は今も昔も変わらない桜の名所ですね。江戸時代、上野以外の有名どころとしては飛鳥山、隅田川堤(墨堤)、そして吉原だったんですよ。

遠藤 あの吉原が桜の名所だったんですか。

抜六 それがよくわかる絵巻があってですね、図録の図版番号200「桜下吉原仲之町賑之図 歌川国貞」を見てください。

※該当の絵巻については著作権の関係で本HP上には掲出できませんが、東京藝術大学大学美術館の X(twitter)が画像をポストしていたので、そちら(右上・2枚目の画像)でご確認ください。

遠藤 わぁ、これは見事な桜並木ですね。絵ということもあって誇張されているのかも知れませんが、大きな桜の木がたくさん並んでいたんですね。

抜六 それに関しては補足があってですね、実はこの桜は3月(旧暦)だけの期間限定の桜並木だったそうです。つまり、植木屋が3月に開花前の桜を植えて、花が散ると引き上げていたそうです。

遠藤 えぇ!?そんなことができるんですか?

抜六 この図録の解説によると、その費用は天保年間で150両(一両10万円と換算して1500万円)で、妓楼、雑業者、茶屋、見番が負担したそうですよ。

遠藤 なんとまあ…、贅沢なことですね。

抜六 このような期間限定の桜並木を作ることは、大坂の新町でも行われていたようです。大坂の新町は江戸吉原・京都島原と並ぶ日本三大遊郭の一つですね。その記録が春足さんの残した文書の中に出てくるんです。次の資料を見てください。

遠藤 これまたなんと書いてあるんでしょうか?

抜六 まず詞書(ことばがき)に「文政二年の春、大坂新町に始めて桜を植えけるを見てよめる長うた」とあります。文政二年は1819年です。吉原に初めて桜が植えられたのは1749年頃らしいので、吉原に70年くらい遅れて大坂の新町にも桜が植えられたわけですね。

 本文の方も見てみましょうか。これは長歌形式(五・七を繰り返し最後を七・七で締めくくる形式)の韻文ですから、やや誇張したり美化したところはありますが、要点はこうです。

 何事も足らぬものが無い中でどういうわけか桜が無いことを寂しく思い、どういう人か知らないが大変な金銀をつぎ込んで、幾千本という桜を、奈良の吉野山からは車に積み、京都の嵐山からは船に積み、はるばる取り寄せ、この新町に移植した。そのお陰で遊女や客も道をよけることができないほど賑わった。極楽や仙境といえどもこれに過ぎることはあるまいと思われ、わざわざ吉野や嵐山に行かなくてもよいほどの眺めであった。 遠藤春足

遠藤 本当に今も昔も日本人は桜が大好きなんですねぇ。

春足 江戸吉原の桜を詠む 狂歌3首

抜六 春足さんも桜が好きだったようで、桜を題材にした狂歌をたくさん作っていますよ。ここでは、春足さんが江戸吉原の桜を詠んだ狂歌を3首紹介しておきましょう。


吉原にあそひ/けるにさくらの/さかりなりけれハ
もろこしのよしのもかくや芥子なりの/禿もみゆるよし原の花 春足

*禿(かむろ) いわば遊女見習いの少女のこと。

遠藤 ちょうど桜が満開のときに詠んだ歌ですね。「桜で有名な吉野山もこんな感じなんだろうかと、禿も眺めている吉原の桜」といった感じでしょうか? ちょっと「もろこしの」や「芥子なりの」を無視して解読したんですが…。

抜六 そうですね。「もろこしのよしの」や「芥子なりの禿」については私も確信は持てませんが、藤原時平と伝えられる歌に「唐土の吉野の山にこもるともおくれんと思ふわれならなくに」というものがあるそうですから、「もろこしのよしの」という用例があったのかもしれません。

 また「芥子なりの禿」ですが、江戸時代には「芥子坊主(けしぼうず)」という子どもの髪型があったらしいです。また、この「芥子坊主」は中国人の辮髪(べんぱつ)頭も指していたようなので、さきほどの「もろこしの」と掛けて「芥子坊主」→「芥子なりの禿」と連想したのではないかと思います。

芥子坊主・罌粟坊主(けしぼうず)とは? 意味や使い方 - コトバンク
精選版 日本国語大辞典 - 芥子坊主・罌粟坊主の用語解説 - 〘名〙① ケシの果実。花の散った後、子房が肥大して径五~六センチメートルの球形、または、楕円体の朔果となり、その頂部には放射状の柱頭が残り、その中心の小穴から、熟すると種子を出す...

廓花
吉原はよし野よりまたうえさくら/はなかんさしも一目千本 雲多楼

*雲多楼(うんたろう) 春足の狂歌名。

遠藤 「吉原の桜は吉野より上の桜だ」みたいな感じでしょうか? 後半の「はなかんさしも一目千本」はどういうことを言っているのかよくわかりませんでした。

抜六 まず前半の「うえ」ですが、遠藤さんが言った「~以上(~にまさる)」という意味に加えて、「植え」という意味も掛かっていると思います。「吉原に植えられた桜は吉野にもまさる」ですね。

 後半の「はなかんさし」は、吉原の花魁や禿の頭を飾っている花かんざしのことです。「桜の花だけでなく、花魁や禿の頭を飾っている花かんざしも一目千本」ということでしょう。一目千本は「一目千本桜」という言葉があって、「ひとめ見て、たくさんの桜がある」という意味です。


吉原花
咲花の雪の夕くれきてみれは/けによし原は銀世界なり 抜足

*抜足(ぬけたり) 春足の狂歌名。

遠藤 これは桜の話だと思うのですが、どうして「雪」が出てきているんですか?

抜六 日本では古来より桜の花びらの白さは雪に喩えられてきたんです。「桜吹雪」なんて言葉もありますが、桜が舞い散る様子を雪が降っているように表現しているわけですね。

遠藤 言われてみれば確かに! …ということは、この歌は「桜の花が舞い散っている夕暮れに来てみたら、まさに吉原は銀世界のように真っ白だなぁ」という感じでしょうか?

 うーん、でも桜吹雪で銀世界のように真っ白だというのであれば、時間帯は夕暮れではなく夜の方がしっくりくる気がしますね。

抜六 実はこの狂歌は能因法師が詠んだ歌「山里の春の夕暮れ来てみれば/入相の鐘に花ぞ散りける」のパロディーなんですね。

遠藤 あぁ、元歌があったんですね。なるほど、「山里の」が「咲花の」になって、「春の夕暮れ」が「雪の夕暮れ」になっているというわけか。うーん、狂歌を学ぶには、古典の教養が必要ですね…。

抜六 そのあたりが他の川柳などと違うところですね。


遠藤 それにしても春足は結構吉原に出入りしていたみたいですね。

抜六 歌舞伎の「伊勢音頭恋寝刃」に登場する徳島岩次(藍玉屋北六)ほどではないにしても、「阿波のお大尽」の一人だったのかもしれませんね。それくらいの事情通でなくては江戸の狂歌人と対等に付き合うなんてできなかったのでしょう。

遠藤 なるほど。今日は吉原について大いに勉強することができました。ありがとうございました。

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