六々漫談

『大吉原展』と『光る君へ』を結びつける狂歌(吉原十二時)

大吉原展と遠藤春足

抜六 やあやあ、こんにちは。この前、東京に出かけたついでに『大吉原展』という展覧会に立ち寄ったのですが、これがまた期待に違わず素晴らしい展覧会でした。

大吉原展
大吉原展 2024年3月26日(火)~5月19日(日)、東京藝術大学大学美術館にて開催!桜満開の上野に江戸吉原の美が集結!

遠藤 えっ、いいなぁー。それ、僕もすごく気になっていた展覧会です。どんな感じだったんですか?

抜六 吉原を題材とした浮世絵が素晴らしくてですね、その質と量に圧倒されました。当初は2時間くらいで見て回るつもりだったのですが、あまりにたくさんの素晴らしい展示に予定を大幅に超えた5時間くらい居て、外に出たときにはヘロヘロでしたね。

遠藤 それはおつかれさまでした。でも、それだけ面白かったってことですよね。

抜六 そうですね。展覧会の図録も購入してきたんですが、見てくださいこの図録の分厚さ。家に帰ってきてから読み進めていますが、まだ半分くらいしか読めていません。

遠藤 わぁ、これはすごいボリューム。これだけの作品が展示されていたら、それは時間もかかりますよね。

抜六 そうなんです。あと、展示されているものの中には遠藤春足に関係するものもあったので、春足研究の延長線上という意味でも大変面白かったです。

遠藤 えっ、どんなものがあったんですか?

抜六 あー、失礼。直接、遠藤春足の名前が挙がっていたというわけではないですよ。でも、あと少しで春足さんの名前が出てきそうだなという感じでした。

 具体的には、今回の大吉原展と関係があるものとして次の三つのことが挙げられると思います。

1,「吉原十二時よしわらじゅうにとき」の展示があったこと
2,「扇屋おうぎや 花扇はなおうぎ」の展示があったこと
3,「吉原の桜」の展示が多数あったこと

 今回はこのうちの「吉原十二時」について取り上げていきます。

「吉原十二時」について

抜六 図録の図版番号80にありますが、展覧会では狂歌本「北里十二時(別名:吉原十二時)」(石川雅望著・魚屋北渓画)が十二時分(じゅうにときぶん)、展示されていました。北里は吉原の隠語です。

遠藤 「吉原十二時」というと我が家にある手鑑に、その一部が貼り込まれていましたね。

抜六 そうなんですよ。「吉原十二時」には春足さんの狂歌が七十八首、アハ(阿波)の狂歌が九十七首、掲載しているんですね。このアハ(阿波)と銘打たれている狂歌は、おそらく春足さんの社中の人によるものと思われます。

遠藤 へぇー、吉原をテーマとした狂歌本に春足の狂歌がそんなにたくさん取り上げられているんですね。しかし、そもそもで恐縮ですが、手鑑に貼り込まれているこの挿絵の男女は何をしているんでしょう?

抜六 それについては私もこれまでわからなかったのですが、今回、この図録の解説でようやくわかりました。

丑時(午前二時前後) 客がこれから遊女に相手の年齢の数を彫った入れ黒子をしようとしている。

 入れ黒子(いれぼくろ)は入れ墨(タトゥー)のことですね。つまり、「心中立て」の一種ではないかと思います。

遠藤 えーと、つまり、遊女の腕に自分の年齢分のホクロを入れ墨することで、「他の男に浮気をするんじゃないぞ」みたいな約束をさせているような感じですか。

抜六 そうかもしれないですし、遊女の側がそのように申し出たのかもしれませんね。

遠藤 なるほど、入れ黒子をしてもよいほどの上客だったのかもしれないですね。

春足の狂歌 香炉峰の雪

抜六 さて、本題に戻りましょうか。この狂歌集に春足さんとその社中の人の狂歌がこれほど多数採られているということは、春足さんの狂歌の才が高く評価されていたのはもちろん、阿波は非常に狂歌が盛んだったことの証明にもなります。

遠藤 ふむふむ、ちなみにこの「吉原十二時」に掲載されている春足の狂歌にはどのようなものがあるんですか?

抜六 この丑時の刻には春足さんの狂歌が十五首載っていますが、そのうち私がうなった一首をご紹介しますね。

いよ染のもすそかゝけて香炉峯の雪の膚をめづる客人
(いよぞめの/もすそかかげて/こうろほうの/ゆきのはだえを/めづるきゃくじん)

遠藤 えっ、香炉峰(こうろほう)? この言葉、この前の大河ドラマで出てきた気がします。

抜六 いまやっている大河ドラマ『光る君へ』の第16回ですね。元にしている『枕草子』(作・清少納言)では、次のように書かれている場面です。

雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子(みこうし)をまゐりて。炭櫃(すびつ)に火おこして、物語などしてあつまりさぶらふに、「少納言よ、香炉峰の雪はいかならむ」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾(みす)を高く上げたれば、笑はせたまふ

 中宮・藤原定子が清少納言に「香炉峰の雪はいかならん」と聞いたら、清少納言は簾(すだれ)をかかげて庭の雪景色が見えるようにした。これは、元となっている中国の白居易(白楽天)の詩「香炉峰の雪は簾(すだれ)を撥(かか)げて看る」を下地としたやり取りで、清少納言の機転が見事だったので藤原定子がにっこりされたというものです。

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遠藤 まさにテレビで見たところなので、ちょうど出てきてびっくりです。で、狂歌に戻ると、いよ染ってどういうものですか?

抜六 いよ染は「伊予染め」と書きますが、江戸後期に流行した染め文様の名前ですね。縞模様に濃淡をつけて、重ねた伊予簾2枚を透かしてできる木目のような文様に染めたものです。以下はGoogle画像検索ですが、伊予染めがどのようなものかわかると思います。

伊予染め - Google 検索

遠藤 えっ、ちょっと待ってください。そうすると、すごくよく出来た狂歌じゃないですか!?

 えーと、私の理解だと「伊予染めの着物の裳裾をたくしあげて、香炉峰の雪のような遊女の肌を愛づる客人」ということだと思いますが、まずもって伊予染め自体に「簾」が関係しているんですよね。

 そこから着物の裾をたくしあげる動きを簾をかかげる動きに結びつけて、そこから枕草子に出てくる香炉峰の雪につなげる。さらに、その雪を遊女の白い肌につなげていっているわけですよね。(以下は遠藤による手書きメモ)

抜六 その理解で大丈夫ですよ。このように題材としてはすごく下世話というか、男だったらワクワクドキドキしてしまうような情景を切り取っていますが、それを表現するのに古典の教養を大いに活用しているんですね。

遠藤 これは確かによく出来た歌ですね。納得です。

抜六 さて、最後に蛇足ですが、僕の勝手な推測を述べておきたいと思います。遠藤家の手鑑には、この「吉原十二時」の丑時だけ本文と挿絵が大切に貼り付けられていました。また、六々園漫録という春足さんの書いた本にも「吉原十二時」の丑時の本文が抜書されています。このようなことを考えてみると、丑時の「かみしもミなしづまりぬ…」で始まる文章は石川雅望ではなく春足さんが書いた可能性もあるんじゃないかと思っています。

遠藤 あー、なるほど。そうであれば、春足が丑時の章だけを大切に手鑑に貼り込んでいたり、春足の狂歌だけでなく阿波の人による狂歌が丑時の部分にたくさん掲載されているのも合点がいきますね。

抜六 もちろん、春足さんが書いたものだという証拠があるわけではないので、あくまでも私の勝手な推測ですよ。そこはお間違えなく。

遠藤 そういうこともあるかもね、というわけですね。了解です。

抜六 では、最後に「吉原十二時」の丑時に掲載されている春足さんの狂歌(十五首)を載せておくので、またお時間のあるときにでも見てもらえたらと思います。

遠藤 私のように解説なしでは難しいかもなので、もし気になった狂歌があるけど、よくわからないという方はお気軽にコメントしてくださいね。それではまた。

 鳳凰の衣裳を着たる傾城と羽ならべんと契る客人   アハ 六々園
 ほとゝぎすただ一声に月形の櫛も落ちたる花魁の部屋   おなじく
 世の人の夢むすぶころ客人の下紐といて寝たる傾城    おなじく
 蕎麦売の風鈴のみか口舌して舌をならせる客人もあり  おなじく
 孝行に身をうりながらなぞて斯く人にはふかう契る傾城  おなじく
 傾城の柳の腰をいだきては目迄も糸となれる客人   おなじく
 傾城と一夜ふさんの夢ならで雲となり又雨となる客   おなじく
 いよ染のもすそかゝけて香炉峯の雪の膚をめづる客人  おなじく
 ころころと鼾をかきて花魁のくるまを客に待たす名代  おなじく
 からやまと唐犬びたひふじ額ひとつによるの閨の睦言   おなじく
 香炉峯の雪の膚をめづるなりみすと名のあるかみをかゝげて   おなじく
 老聃ののるてふうしの刻限に下紐の関こゆる客人   おなじく
 のつて来た駕ばかりかは寝間にてもやはり四手となれる吉原   おなじく
 地にあらば木にもならうと契りたる其新造の年も十八   おなじく
 鳥にまでならうと契る傾城の詞はうそと知らぬ客人   おなじく

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