御安康奉賀候然は四月分
摺本出来さし分(?)ハ入手可被下候
身延山額面のミたし??御書?
申遣可被下候立川焉馬上かた
角觝一件ニ而上阪いたされ候
貴地へも
御たづね申?と被存候いまた岳亭大人ハ
御滞留ニ御座候哉伺度候
西与白痴ものかたり近々出来いたし
拝見仕候 先ハ早々
八月五日
六々園先醒(?) 清澄
語注・気付き
*角觝ー力や技を比べる競技。角力や技比べ(大字源)
*身延山額面ー石川雅望が身延山額面狂歌合の判者になったのは文政十二年(1829)(粕谷宏紀著「石川雅望研究)
*立川焉馬ー烏亭焉馬(うていえんば)寛保3(1743).江戸~文政5(1822).6.2. 江戸。江戸時代後期の狂歌師,戯作者。本名,中村利貞。字,英祝。通称,和泉屋和助。別号,立川焉馬,談洲楼,桃栗山人柿発斎。狂号を鑿釿言墨曲尺 (のみちょうなごんすみかね) 。本所相生町で大工棟梁のかたわら足袋,木綿類を商う。俳諧から狂歌,戯作へと転じ,『客者評判記』 (1780) ,『通人の寝言』 (82) などの洒落本,『戯算甚孝記』 (80) などの黄表紙も書いた。また5世市川団十郎と義兄弟の交わりをし,『歌舞伎年代記』 (1811~15) を著わした。天明6 (1786) 年,四方赤良 (よものあから) ,鹿都部真顔 (しかつべのまがお) らの協力のもとに江戸における最初の咄 (はなし) の会を催し,江戸落語流行のきっかけをつくり,以後文政5 (1822) 年にいたるまで二十数回にわたって会を主催。それらの咄を『咄し売』 (1789) ,『喜美談語』 (96) ,『無事志有意』 (98) などにまとめた。落語中興の祖とされる。弟子には立川 (たてかわ) を名のって落語家になった者が多い。(ブリタニカ国際大百科事典)
*岳亭大人ー岳亭定岡。狂歌師(石川雅望の弟子)絵師(晴信)
*西与ー『白痴物語』は江戸馬喰街二丁 書林 西村与八から刊行されている。西与はその略。 例 蔦屋重三郎ー蔦重
*先醒ー自分よりも先に道を知っている人。先覚。(大字源)
*清澄ー石川雅望の長男。塵外楼清澄。父に学び五側の判者となる。絵にも優れていた。
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