書き物

本居清島筆 光格天皇新御所への行幸見物記

撮影:四国大学 / 分類:手鑑3-4-1

掛まくもいともかしこき
天皇の天つ日嗣の高御座を
高ひかる太子に譲り賜ひ
授け給ふとのらし給ふ大御命
のまにまに後桜町院の大野(座?)ましゝ
御殿を又さらにおほたくみ
ともつかへまつりていや高に
いや広に仕へまつれる此大宮
にことし文化十四年といふとし
の三月廿二日に御うつろひの
大幸行ありときゝ奉れるま
にまにまゐのほりてその日の暁
より大宮のへの大路のかたはら
にうすくまりをりけふのいく
日のたり日の朝日の?さか
のほりに大鳳輦かゝやき御さ

撮影:四国大学 / 分類:手鑑3-4-1

き御しりへに百司の大宮人
ゆきつらなりてわたり給ひ
つかへ給ふ其大幸行をを
ろかみ見奉りて

現神わかおほきみのいてましを
いはひをろかみ見らくかしこし

ひきわたるいたしくるまの下すたれ
小簾のたれすのうるはしくもあるか

ものゝふの六司はをゝしくも
御弓とりもち靫とりおはす

大中少とみつのものまをす
つかさつかさもいならひゆかす

撮影:四国大学 / 分類:手鑑3-4-1

鳥かなく東堅子のひあふきの
よそひの紐は土にたりたり

天下まをし給はす大臣も
つかへまつらす大幸行はも

御尾前にやかはえなして宮人の
みともつかふる見るかたふとさ
       本居清島

語注・気付き

*東堅子 宮中に奉仕した少年(コトバンク)
*本居清島  国学者。通称左衛士。大平の次男。父の意を承け古学を修め、大成しようという時に父に先だつ。著書に『竹の小家』家集『清島集』がある。文政4年(1821)歿、33才。(コトバンク)
○文化十四年三月二十二日に行われた光格天皇の新御所への幸行(光格天皇から仁孝天皇への践祚は文化十四年九月二十一日)見物記。

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