あられのふりける
梢にもやねにも見ねとみゝにのみ
とまりてそふるよへのあられハ 春足
あられのふりけるあした
梢にもやねにも見ねとみゝにのみ
とまりてそふるよへのあられハ 春足
八月十五夜に種
彦大人のことの
葉をさらて(この三字不明)
とおもひやりて
くらへなむいつれまさらん君かよむ
こと葉の玉と月のひかりと 春足
語注・気付き
3-24-1 梢にもやねにも見ねとみゝにのみ/とまりてそふるよへのあられハ 春足
3-24-2 梢にもやねにも見ねとみゝにのみ/とまりてそふるよへのあられハ 春足
*狂歌短冊3-22-6と同じ
3-24-3 くらへなむいつれまさらん君かよむ/こと葉の玉と月のひかりと 春足
*狂歌短冊3-23-3とほぼ同じ内容
*詞書の「種彦」は柳亭種彦か?
*柳亭種彦 頑健ではなく、「文武」のうちの「文」にいそしみ、少年期から漢籍に通じた。歌舞伎、浄瑠璃を好み、それらの脚本を収集し研究し、井原西鶴・近松門左衛門に傾倒した。狂歌を、はじめ唐衣橘洲に、次いで宿屋飯盛こと石川雅望に学んだ[要出典]。ただし、雅望を「国学の師」とする確証はない[1]。川柳の三世川柳(1776 – 1827)の社中に入った。(wiki)
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