書簡

六々園宛て五老書簡

撮影:四国大学 / 分類:手鑑3-16-1

御多福奉賀候類焼
御訪被下金百匹御授被下
忝御掛心奉謝候猿蟹
ハ江戸にて梅明方ニて集候所
火災ニてみな焼失とのこと
きのとく奉存候去年中序文
これハ届不申候やせんさく可被下候
此度の火災すきやかし??
みな焼失仕候すへて宝といたし

撮影:四国大学 / 分類:手鑑3-16-1

候物ハ何方も紛失と承候
小子も集覧焼失草稿も
無之遺憾奉存候
歌雄兄へよくよく御礼御頼申候
さるかにの序文あとより上可申候
文事ハ天より奪ひ取事と
あきらめ候
團十郎大坂へ罷上御覧可被成候
何も御報迠早々申上候以上
           五老
五月廿一日
六々園大人

語注・気付き

○粕谷「石川雅望研究」によると雅望宅が江戸大火で焼失したのは文政十二年(1829)三月二十一日。
○読み取れる情報 ①(春足からの)火事見舞金百疋受納 ②「猿蟹」とは3-2-2春足宛て五老書簡によると「猿蟹の狂歌」(合)のこと。このころ春足は方々に広告して「猿蟹合戦」に因んだ狂歌を募集していた。江戸ではこの書簡にあるように梅明方が集所となっていたようである。ところがその集歌が全部焼失してしまったのである。③「去年中序文~」この序文は(春足が雅望に依頼していた猿蟹の序文か。それとも同年に刊行した「白痴物語」の序文か?)がまだ(春足方に届いていないか?というのであろう。④江戸では大勢の人が宝のようにしていたものを失ってしまった。自分も「雅言集覧」の草稿を全部焼失してしまった。(この件については粕谷宏紀著「石川雅望研究」P306,321に詳しい)⑤歌雄(春足社中の一曲亭歌雄)によくよくお礼を申し上げてくれ(春足と一緒に見舞金を送ったのだろう)⑥「さるかにの序文」はあとから送る。 ⑦「文事ハ天より奪ひ取事とあきらめ候」。この句、火事が日常茶飯事だった江戸の人らしい発言。また雅望の江戸っ子ぶりをよく見せている。⑧(七代目)市川團十郎、大坂にて興業。御覧あるべし。

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