五月七日の御手書到着
奉拝見候先々御壮健ニ
御座候の御事察居仕候
小子無事御安慮可被下候
徳島之御風流士御詠藻
御見セ扨々おもしろく承
候事也年来いたし候者
もかうハと迄おほへて候
別ニ御草稿これまた拝見
例之感心おほかたならす
長歌二首ともにおもし
ろくあまたゝひ吟味仕候
御詠藻の中おかしとおほへ
候ハかきぬき置候追々加入
可仕候哥かるたいまた出来
不申追々上可申候
先御礼申上候ハ?魚價
金三方(歩?)及本居翁手
沢一ひら御恵被成下
御?清奉感佩候なかく
秘蔵可仕候悦ひ入候事ニ
有之候扨狂??色
帋等したゝめ上候御一笑
可被下候
雅言集覧此節もはら
校合取かゝり昼夜とも
この事斗ニ消日罷在候
いつれ來秋か冬ならてハ
発兌ニは及かね可申存候
源注ハいまた校合も不仕候
あつまなまりこれハらちも
なき物なから此節彫刻ニ
かゝり罷在候当年中ニハ
書肆にて売出し可申候
出来しだい直ニ御届可申候
武者つくしも会主をこたり
にていまた成就不仕候
さきさき出候狂哥職人尽
ハ御覧被下候や
月並題さし上候もし
徳島御連にて御よみ被下
候ハゝ秋より後を御よみ
可被下候
雅言集覧ハ大ニ労し候て
とり集め候十カ九ツハ
草稿もいてき候御近所
に御座候ハゝ御ちからをもかり
可申事ニ候へ共さてさて
まかせさる事残念存候
前便ニ南畝著述之書
八丁堀まで御届申上候着仕
候や承りたく候此ほかニも
あらぬ小説本可有之候へ共
書肆ニ一向たえて無之候
此度寝惚集とりよせ
置候を御届申上候これも
南畝わかき時之作ニて候
追々ふる本ニても見あたり
候ハゝとゝのへ置奉呈へく候
扨なにそ御報のついてニ
奉呈度存候へ共存つき
無之候
ちかけ 扇面
春海 短冊
これは沢山所持いたし候所
ミな人に遣ハしわつかに
これのミのこり有之候
しるしはかりニ奉呈上候
くれくれ御厚意之御賜物
千万奉謝候先ハ御答
申上度如此御座候謹言
雅望拝
六月十二日
遠藤君
語注
*感佩 深く心に感じて忘れないこと(日本国大)
*ちかけ 扇面 手鑑2-6-1参照
*春海 短冊 手鑑2-6-2参照
気づき
○六々園社中から送った狂歌詠草に対するおほめの言葉。半分はお世辞とみても半分は本心だっただろう。詠草中「おかし」と思われた物は書き抜いて置き、次の狂歌集に入れるつもりのようだ。
○雅言集覧草稿九割り方出来。出板が難航したことについては粕谷宏紀著「石川雅望研究」に詳しい。他に源注余滴・あつまなまりの進行具合について言及あり。
○太田南畝著述について 恐らく春足さんが何か送ってほしいと頼んでいたのだろう。一部は八丁堀へ届け、残りは古本屋等で見つけ次第送るとある。このあたり、春足さんが諸名家の筆跡を積極的に収集していたことがわかる。
コメント