書簡

六々園宛て五老書簡 春足・社中の詠草一覧返上 歌雄このたび江戸下向 歌雄に言付けて碑文の事を菊池五山に依頼 雅言集覧・四之巻出来たので別便で送った

撮影:四国大学 / 分類:手鑑2-34-1

暖気御安泰奉賀候
然はかねて被仰聞候
詠草やうやう一覧返上
仕候御会主へ宜御伝へ可被下候
此度歌雄君御下向ニて
碑文の事五山子へ承り
あはせ即かの仁よりサンカイ
へたのみ清書いたさせ候清池
は三月中死去いたし候よりて
右之通いたし候委細ハ
歌雄君御帰り之節御聞
可被下候先用事のミ申上候
以上
四月二十八日
尚々集覧四之巻出来仕候
これハ別封にてさし立候 以上
六々園大人     五老拝

気づき

①春足・社中の詠草一覧返上 ②歌雄(一曲亭歌男のことと思われる、以下の画像参照)このたび江戸下向。それに言付けて「碑文の事」(春足の弟萃雅の墓碑銘)を(菊池)五山に依頼。春足は愛する弟の死(文政四年 1821)を深く嘆き、後代人々の記憶に残ることを欲して墓碑を作ろうと企てた。その撰文は当時漢詩人として名をなしており雅望の知己でもあった菊池五山(江戸後期の漢詩人。高松生まれ。曾祖父の代から高松藩に儒官として仕えた。菊池寛はその傍流に当たる。wiki)に雅望を介して依頼。サンカイと言うのは清書者の名前か。清池は春足が最初清書を頼もうと予定していた人と思われる。清池の死については書簡2-33-1参照) ③雅言集覧 四之巻出来。別便で送った。

撮影:徳島県立文書館 / 分類:P2090257

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