書簡

六々園宛て五老書簡 草堂新築・新築記念の一会のご協力よろしく 狂哥人小伝御趣向おもしろい 本居大平より雅言集覧三部追加注文すぐ送った 今眼病を病んでいるため返事ができない 賀茂季鷹江戸下向雅望宅訪問など

撮影:四国大学 / 分類:手鑑2-31-1

秋暑殊之外凌かね候
御万福察居仕候老夫
無事罷在候御安慮
可被下候扨かねて申上候
艸堂新造之事追々
出来当七月中ニハのこらす
職人も引キ候事と被存候
かさねて御下向候はゝ御出店
よりハ拙宅ニ御止宿可被成候
くれくれ御待申候事ニて候
右新宅一会之勧進ニ付
御近所御取集メ被下候趣被
仰下御苦労之分大に
御厄介と奉存候何分一首も
余計ニ御集可被下候
狂哥人小伝御趣向大に
おもしろく感入奉存候いつれも
先貴君を第一とほめ
申候
此節伊勢山?園番付
出来ニ付入御覧候

撮影:四国大学 / 分類:手鑑2-31-1

今頃紀州本居氏より
書状参り雅言三部松坂
へ遣し候やう御申こしニ付即
差立候小子土用中より
眼病故筆を採かね候故
紀州へいまた返書遣し不申候
御ついても候ハゝよろしく御申可被下候
此節季鷹翁江戸へ下
着私方をも尋くれ卅余斗
にて対面仕候当年六十八才
と被申候へ共虚言ニて実ハ
七十余の翁にて御され共大
丈夫ニて吉原半籠(籬?)松葉や
よし春と申す粉類をもとめ
大ニもて候迚うれしがりをり候
何も造作取込早々申上候以上
七月十八日    五老
六々園大人

語注

*季鷹 賀茂季鷹。宝暦四年~天保十二年(1754-1841)。江戸中期~後期の国学者、歌人、神職。なかなか元気な爺さんだったと見える

気づき

○艸堂新築については粕谷宏紀著『石川雅望研究』P.261に次のような記載がある。「○十月某日、霊岸島の住居に隠居所(書斎)を建てる。また当日、新居披露狂歌会を催す。」▲五老先生の嫡男中村清三郎(略)霊岸島湊町川岸に引移りて住居し給へり(略)是によりて六樹園先生も其地の奥の方に庵作りて住給へり(『永久田家務本伝』巻十二) ▲霊岸島本湊町中村梅太郎が家に寓居し紙など商ひたり(『名人忌辰録』) ▲あらたに草庵をつくりいとなみて/たてそめし家居にうつる古翁あるしかほこそあたらしといへ(以下略)
○紀州本居大平から雅言集覧三部の注文があり即刻送ったことがわかる。
○雅望新築記念一会についても春足さんはじめ春足社中より多大の協力があったようだ。いつものことながら春足さんに対して下にも置かぬ丁寧な言葉遣いである。雅望新築記念一会については以下の「六樹園艸庵新造狂歌合 五月廿日集 会日追て披露」他のチラシあり。これには「補助 諸国五側総連」の筆頭に「石井 六々園」の名が上っている。

撮影:徳島県立文書館

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