六々漫談書簡

春足宛て五老(六樹園)書簡 五色素麺の礼 南畝にもお裾分け

撮影:四国大学 / 分類:手鑑2-3-2

弥御壮健之由大慶
仕り候扨は五色素麺
遠方之所御授被下
御厚意奉謝候実ニ
珎物にて江戸にてハ初而
見候事にてみなみな
目をおとろかし南畝
へも使にて届け候殊の外
よろこひ候由にてくれくれ
家内一同御礼よくよく
申上候事にて候先ハ
右御礼申上たく如此御座候
以上 
四月廿日     五老拝
雲多楼大人

撮影:四国大学 / 分類:手鑑2-3-3

阿州雲太郎子より
五色麺一箱御授恵
被下忝御儀ニ御座候
御礼頼上申入候
取込早々
 卯月十九日   蜀山人
 六樹園主人

対談

抜六 遠藤さん、解読をしていて、ちょっと悩ましいところがあったので、話を聞いてもらえますか?

遠藤 はいはい、なんでしょう?

抜六 この二つの書簡(2-3-2、2-3-3)、前の書簡(2-3-2)は六樹園(五老)から春足宛の書簡で、後の書簡(2-3-3)は蜀山人(大田南畝)から六樹園宛の書簡なんです。

 ただ、これが手鑑の同じページに貼り込まれているのと、書簡の内容が同じ春足から贈った五色素麺についてのものなので、私としては別々のものとは思えないんですよね。

遠藤 どれどれ、手鑑で確認させてくださいね。あれ?この後ろの方の書簡(2-3-3)ですが、前の書簡(2-3-2)とつながっているのかな?同じ紙を使っているように見えますね。

手鑑2-3-2(右)と手鑑2-3-3(左)

抜六 そうなんです!ただ、困ったことに書簡に記された日時が前後で逆転していてですね…、前の書簡(2-3-2)が四月廿日(4月20日)で、後の書簡(2-3-3)が卯月十九日(4月19日)となっているんです。

遠藤 あー、同じ1つの紙に六樹園→蜀山人の順に書いたのだとしたら、後の書簡(2-3-3)の日付は、前の書簡が書かれた4月20日以降になっていないとおかしいですもんね。ということは、同じ紙のようですが、別々のものなのかな…。

抜六 普通はそう思いますよね。ただ、書簡の内容的にはやっぱり続き物というか、関係が深いんですよね。どちらの書簡も五色素麺を贈ってくれたことへのお礼を述べているんです。

遠藤 えーと、すみません、五色素麺って何ですか?

抜六 素麺に赤、青、黄、緑の色をつけて、色をつけていない白を加えた五つをそれぞれ束にしたものだと思うんです。私自身、おぼろげながら見たことがある気がします。徳島は今でも半田素麺が有名ですが、当時はこの五色素麺が阿波の名産品だったんじゃないでしょうか。

遠藤 なるほど。見た目にも華やかそうですね。

抜六 実際に、この書簡でも「珎物にて江戸にてハ初而見候事にてみなみな目をおとろかし」とありますね。

遠藤 「とても珍しかったから皆がびっくりした」ということですか。

抜六 そうです。あと、他の書簡からわかることですが、春足さんはこの五色素麺を本居大平など六樹園以外にも送っているようですね。

遠藤 春足の贈り物の定番だったということですね。

抜六 そうだと思います。そして、前の書簡(2-3-2)には「南畝へも使にて届け候殊の外よろこひ候由にてくれくれ家内一同御礼よくよく申上候事にて候」と記載があるので、六樹園から蜀山人にお裾分けしたようです。

遠藤 そうすると、後ろの書簡(2-3-3)は蜀山人が、そのお礼を六樹園宛てに書いた書簡ということになりますね。

抜六 その通りです。でも、そうすると六樹園宛てに書いた書簡が、なぜここ(遠藤家の手鑑)にあるんでしょう。

遠藤 うーん、それはやっぱり六樹園が春足を喜ばせようとして、蜀山人の書いたお礼を同封して送ってきたのではないでしょうか?

抜六 そこが引っかかるんです。もし違う書簡を同封したものならば、どうして二つの紙がこんなに一致するんでしょう…。

遠藤 確かに。たまたま同じような紙を使った可能性も捨てきれませんが、偶然の一致と言うには少し無理があるかもしれないですね。

抜六 なので、私が想像するに、六樹園が春足さんを喜ばせるために、蜀山人のところに書簡の紙を持っていって、お礼を書いてくれるように頼んだのかもしれないなと。

遠藤 はー、わざわざそこまで…。もしそうだとしたら、六樹園は春足のことを丁重に扱ってくれていたということで、本当にありがたい限りですね。

抜六 そうではないかな…と思ったので、実はこの蜀山人の方の書簡(2-3-3)を加藤定彦さんに画像で見てもらったんです。

遠藤 ほうほう、それでどうだったんです?

抜六 加藤さんは偽筆だろうと言うんです。

遠藤 えっ!?偽筆!

抜六 蜀山人とあるけれども筆跡に勢いがないと。

遠藤 なんだか、事件が迷宮入りしそうな感じになってきましたね。

抜六 まあ、蜀山人は有名人だったので「サインして!」と頼まれることが多く、公認の代筆屋がいたようです。サイン会場にも連れていくほどだったと何かの本に書いてありましたからね。そのため、もしかするとこれは代筆かもしれません。

遠藤 代筆屋さんがいたのであれば、六樹園が春足へのお礼の書簡を書いた後に、その続きに蜀山人からのお礼ということで代筆してもらって、日付だけバックデートしたってことが考えられるのかな…。

抜六 もしかすると、そうかもしれないですね。または、本当にたまたま紙が同じだっただけで、前後の書簡はまったく別々のものだったのかもしれないです。

遠藤 なるほど、真相はわかりませんが、それでも蜀山人の代筆屋がいたことや、六樹園さんが春足を丁重に扱ってくれていたであろうことなどがうかがい知れて勉強になりました。ありがとうございますー。

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