七月二十五日之御状此節
到着逐一拝誦仕り候
冷気之砌御安康ニ御座候
奉察居候此度ハ御連中
御詠藻被遣一覧返上
仕候付而金一両為朱料
御授被成下?之至千万
奉謝候御かたかたへ可然御礼
御つたへ可被下候
すり物も東都少々ゆるみニて
狂哥なとハくるしからさるよし
にて此節所々ニてすり出し候
但金すりニいたし候ハ禁制と申事也
狂歌会席別ニ式も無之候
大抵未刻此よりうちより
兼題の作を執筆ニわたし
おのおのまとゐいたし当座
等を案し候披講ハ文台
にて両人斗候てよみこみ候
判者たる人をはてニよみ上候
和歌の会にハ貴尊をさきに
いかすやうニおほへ候へ共これらハ
歌舞妓の座かしらの格にや
右当座を案し候うち酒肴
を出し候も有之候但披講
已前ニ豆腐にて茶漬をすゝめ
候これハ月並尋常の事也
大会は茶席をかりていたし
??膳等もいみしくしたて候
扨先膽をおとろかし候は
御地の御かたかたの御詠にて候
実ニ奇々妙々の御作意共
感入候事ニて来あひ候客
へも吹聴いたし各舌をまき
候事にて候これハ御教導
のよき故と御伝申候事ニて
別ニ御一巻うつしとり返上
仕り候相応の題候ハゝ加入
可仕候先御報申上たく
且御たま物のよろこひ
聞へ奉り度如此御座候
已上
九月十三日 五老
雲多楼大人
気づき
○春足連中(六々連)から「詠草」(狂歌の原稿)と朱料(狂歌の採点料)として金一両を送ったものと思われる。それに対する雅望の返書。①金一両に対する謝礼。②東都では「すり物」に対する規制が少々緩んできており狂歌の出版もできるようになったが、豪華な出版物は許可されていない。
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