三月十四日之貴書到着
奉拝誦候御安清大慶
仕候然は一曲亭御主人
江戸御出附之旨被仰下相待
罷在候処四五日以前御使ニて
見事の鯛御贈被下候而
一両日中枉駕之旨被仰下
候へ共今以御出無之候日々
相待罷在候へ共御さたなし
家内取込ニて御旅宿をも
不承候故御訪申候事もなりかね
せんかた無之候何卒御出あれ
かしと奉存候
雅言四部上候様被仰聞
代金一円被遣慥ニ??仕候
此度之便りニ右四部御届
申上候
御文章先達而御みせ被下候
分すぐニ本八丁堀御店へ
差出し此節相届候事と
奉存候
江戸表三月前より雨天
つゝき候て当年ニかぎり桜
を見ずたれこめてこもりをり候
此節迄日々雨がちニて晴天
ハまれニ有之候
此度大望を企候小子楼上
之住居御存之通不勝手ニて
殊ニ毎月之会集ニも供之
人之居所も無之仕合きのとくに
存をり候侭此節清澄か
住宅のうしろの方ニこれまて
長屋有之候所朽損し候間
こぼち取払申候右之跡へ
一箇大伽らんを建立可致と
かまへ候尤月並ハ勿論ニて
執行可申奉存候間すこし
広く造立可仕存候付而ハこれ
まて月並之外ニハ狂歌等
取集之事ハ不致候へ共此度
建立之はしたてニもと一会
相企別帋御覧被下御連中方
あまさず御出詠被下度希上候
この造作の事久々心かけ居
候へ共御案内之通り四ツハ谷
辺ニても度々移居其後只今
の処ニ引こし候へは度々之
宿うつりニて御勝手方困窮
に及ひ候へハ見あはせをり候事ニ
有之候此節ハ右地面明キ地
と成候事故此時造作いたさざ
れば時を失ひ候事故強て
右造立をは思ひたち候彼霊岸
のためしにならんハかしこく候へ共
偏ニ諸天の御与力をあふき
る事ニ而候
追々向暑御自愛(?)可被成候
先御報なから右之一条申上度
如此御座候謹言
四月十七日 五老
六々園大人
語注
*枉駕 乗り物をわざわざまげて立ち寄る。人の来訪をいう敬語。(大字源)
気づき
○①一曲亭主人から鯛の贈り物が届いたが本人は未だ現れず。待っている。②(春足方から)雅言集覧四部追加注文、代金一円(?)送ってきた。③(春足の)文章添削 ④四ツ谷のこれまでの住居が手狭だったため一大決心をして霊岸島の清澄宅の裏側に新築することになった。内証が逼迫しているので天のご加護を待つ(献金の催促か) 粕谷『石川雅望研究』によれば、文政二年「十月某日、霊岸島の住居に隠居所(書斎)を建てる。また当日、新居披露狂歌会を催す。」とある。(p20)
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