書簡

六々園宛て五老書簡 春足社中の「柳の御詠」と目録の金子三百疋受納 春足からの賀正の目録受納 その礼状を八丁堀の春足のお店に送ったが到着が遅れているらしい 百人一首の南北という奴に対する怒り 他

撮影:四国大学 / 分類:手鑑2-25-4

三月十七日之貴書四月五日
到着拝誦仕候暖気相催候
処御平安御由愛度被存候
然は本冬御さし立被下候御
社中柳の御詠及御目録之
金子両様三百匹其後ニ
後尊君儀より賀正之御目録
是又慥ニ相届重々忝奉存候
右は其節すぐニあつく奉
謝候趣書状ニ相認且すり物
少々相添封し候而本八丁堀
御店へむけ御届申候如何
候事ニて延着ニ相成候事か
不審奉存候いつれ不日相届
候事とハ被存候へ共先々
鷺入候まゝ御答申上候
一曲亭御主人御着之処当
年は小子眼病さまさま取込
有之大に御麁略之仕合ニ而
御座候よくよく御伝可被下候
百人一首南北と申やつ実ニ
不当無礼にくむへき男

撮影:四国大学 / 分類:手鑑2-25-4

に有之候右も此節内々ニ相
読仕りいつれ南北をハさし置
連中之者うちより少々宛も
彫立可申内読いたし居り候
雅言二篇此節ニ相かゝり
罷在候
前書延着之書状此節御地着仕
候哉承り度奉存候くれくれ両
度之御被物不可謝尽奉存候
諸君へ御礼よくよく被仰通可
被下候謹言
四月十五日     五老拝
六々園大人

語注

*一曲亭御主人 「狂歌阿淡百人一首」にこの名あり。
*南北 東西庵南北(とうざいあん-なんぼく)(?~1827)江戸時代後期の戯作(げさく)者。
江戸の人。文化-文政のころ合巻本を多数あらわす。本業は版木師。浮世絵,狂歌にもすぐれ,五側(ごがわ)(石川雅望(まさもち)社中)の判者もつとめた。文政10年7月死去。六十余歳。姓は朝倉。通称は力蔵,藤八。狂名は吾妻楼手前。別号に葛飾偶人,梅山人南北。作品に「復讐源吾良鮒魚(かたきうちげんごろうぶな)」など。(出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus) これに該当するか。

気づき

○①「柳の御詠及御目録之金子両様三百匹其後ニ御尊君儀より賀正之御目録」というのは年始の謝礼か?それにしては四月十五日という日附とひどくずれている。すぐさま礼状を出したのだが届いていない様子 とも書いているのでそのせいかも知れない。②一曲亭主人江戸着。(雅望は)眼病で取込中失礼のわび③「百人一首南北と申やつ」に対する怒りがぶちまけられている。この人物が語注の「東西庵南北」であるとすれば「百人一首」とは何を指すのか。ともかくこの書簡にも雅望の激しい性格がよく表れている。

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