薄?御壮健奉賀候
雅言集覧今朝先々
本ニ相成候へ共わつか
十部出来いたし候本居
ぬしへも先たて候御地
へは十一部可差上処
今日本出来不申候間
先六部御届申上候跡
より五部上可申候左様
思召可被下候誠ニ大取込
ざつと申上候以上
五老
九月廿五日
六々園大人
気づき
○雅言集覧刊行 文政二年(1819) つぎのようないきさつがある。「文化十四年に角丸屋甚助と須原屋伊八との係争から書肆の刊行が中止となったので、私家版として公刊したのである。私家版という形をとったために、売れ行きは自然と円滑さを欠いたと思われるが年内に二百部ほど売れたという。」(粕谷宏紀著『石川雅望研究』p257)
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