寄国祝をよめる俳諧ふりの長歌
かけまくハかしこけれとものたまくは
いひにくけれと酒うまく魚鳥うまく
米すらもうまし皇国とことくにゝ
聞うらやミてゝ咽ならしさひつるえみし
歯をときてゝはむかふえみしいにしへに
ありハしつれと唄てたにミることならぬ
味酒を神のもる国なめてたに
みることならぬうましねを君のをす国
をしけなく呑食ふからに国民も
手力つよくきもふとく肥ふとりたる
大ミけつ国
反歌
あめつちの神のかためしうまし国
うまく夷の歯のたゝめやハ
四方歌垣真顔
気づき
○太田蜀山人が寛政の改革を予期して狂歌界から一歩身を引いたのは天明七年(1787)ごろ。その後を受け継いだのはいわゆる「狂歌四天王」と呼ばれる人達。(宿屋飯盛、鹿都部真顔、頭光、馬場金埒)なかでも、宿屋飯盛と鹿都部真顔は全国の狂歌界を二分した大物である。この扇面は飯盛のライバル関係にあった真顔の書き物であり注目される。内容は「ことくに(異国)」「えみし(夷)」にたいする偏見も含まれている愛国的日本賛歌。万葉風の長歌と反歌から成っている。
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