書簡

遠藤大人宛て五老書簡 雅言集覧・大平の序文受け取った 大平への寸志は御差し止め頂いたがゆくゆくはお礼をしたい 逗留中の雅雄の長患いが回復して嬉しい

撮影:四国大学 / 分類:手鑑2-14-3

炎熱御万福大慶仕候
然は大平先生序文御届
被下千万(?)ニも大慶奉
謝候偏御心配?感佩仕候
付而菲薄なから寸心をも
表し度奉存候所御さしとめ
之趣文丸申候故御?ニ
不及其事?而ゆくゆく
御礼も仕り度候くれくれ
御ついてによくよく此かしこ
まり御?可被下候
雅雄長病嘸々御面倒
奉存候万々一の事有之候へ共
其御地にて御取置可被下候其段
寺請状よりハ老夫証人
に罷なり申候遠方御かけあひニ
不及候併此節全快ニ趣候由
よろこはしくおほへ候
大平先生御俗称存不申
白帋にて上候政雄ニ代筆
かゝせ可被下候取込用事のミ
申上候謹言
六月七日       五老
遠藤大人

語注

*感佩(かんぱい) 深く心に感じて忘れない。ありがたく思って忘れられない。佩は身ニ帯びる意味。(大字源)

気づき

○紆余曲折があった本居大平の雅言集覧序文がやっともらえたようだ。これも「長逗留中」の雅雄(本文中から春足さんのところに長逗留していたのは病臥していたためとわかる。雅望は万が一のことも考えていたようだ)の助言があって春足さんが中を取り持ち実現したのである。
○大平の序文は「大平先生序文御届被下」(大平先生の序文をお届けくださり)とあるので、大平から春足に送り、春足が雅望へ回送してきたことがうかがい知れる。
○大平への寸志については「御さしとめ之趣文丸申候故」(文丸がお差し止めの趣旨を申し伝えてきたので)とある。この「御」は、雅望の弟子である文丸に対してではなく、春足さんに対しての敬語と考えるのが自然であろう。この書簡だけではわかりにくいが、他の前後の書簡を読むと、いま春足さんのところに滞在中の雅雄が、雅雄の先生である盛砂とやりとりして仲介しているようなので、雅雄が春足の意向を聞き、「お礼には及ばない(なぜなら春足自身が大平に対して何らかのお礼をするorしているから)」という返事だったので、その旨を盛砂に伝え、盛砂が文丸を経由して雅望に伝えたのだろうと解釈できる。(その他の書簡で、盛砂と文丸はセットで扱われていることが多いので、雅望から見て信頼の厚い2人であったと共に、両人とも仲が良かったのではないかと推測される)

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