三月五日之御状同廿日比相届
辱拝読致候愈御清安被
成御入候由奉幸甚存候拙家
無異居申候乍慮外御放念
被下候
一此度御見せの雅言集覧校合
すり初のかた一見いたし候処集
ふり至極宜敷相見え申候夫ニ付
御頼之通右序文いたし相認
上申候甚多用中御断も申入度
存候へとも折角遠方御頼之事
故と存作文いたし申事ニ御座候
扨右集覧作者六樹園
俗称別号等御書記して相わかり
申候へとも家業ハ何をいたし候人
や身柄は町人ニてや右等今
一応承らで??扨雅望ハ何と
よみ候や実名ハ文字相しれ候所
よみさま当時ハいろいろとよみ候故
右も承置度候右之条御返
事申入候様親とも申付候故
如此御座候猶期後音申候 以上
本居左衛士
清島
四月十八日
遠藤宇治右衛門様
語注
*本居清島(1789-1821) 江戸時代後期の国学者。寛政元年1月26日生まれ。本居大平(おおひら)の次男。父とともに紀伊(きい)和歌山に移住。古学をまなんだ。文政4年9月2日死去。33歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。通称は左衛士。著作に「竹の小枝」「清島随筆」など。
気づき
○この書簡、粕谷宏紀著『石川雅望研究』p242に詳しく引用
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