御書拝閲御平安
御座候之趣不堪雀躍候
然は先ニ被仰聞候花
詠藻此節飛脚便ニ
被遣一昨日相届候て
早々披見御いそき
と奉存候故とりあへす
御墨奉返上候付而
金一円御授被下誠ニ
過当之至痛入奉存候
諸君へ可然御礼被(御?)伝達
可被下候此節雅雄事
讃州より御地へ罷出候
よし嘸々御厄介と奉存候
かれは元来上州高崎
の住人ニてたしかなる
ものニ有之少々禄(?)を
つかひ過し候とて老母か
こらしめ候とて江戸へ
出し置候随分正直なる
奴にて此方盛砂方へ
文通いたし殊之外御セ話
に相成候趣吹聴申来候段
盛砂より承り於私ニも
奉感謝候くれくれ??
諸君子へあつく御通被下候
先御報迄???申上候 謹言
六月廿五日 六樹園
六々園大人
尚々右大尽君猿人君
へ御ついてニよくよく御通達
可被下候
語注
*金一円 不明
*六帖園雅雄(1794~1830) 江戸時代後期の狂歌師。寛政6年生まれ。上野(こうずけ)(群馬県)高崎の商人。五側の判者をつとめ,高崎水魚連の中心人物として活躍した。文政13年8月13日死去。37歳。姓は大谷。通称は桐屋三右衛門。別号に桐雅雄,桜の壺。(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)
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