(てへんに寿)衣及曙といふことを人のよませける
我せこかきならしぬ袖に(?)したころも
あかすうつまに明ぬ此夜は 雅嘉
*(てへんに寿)が当システムに登録できなかったので、このように表記しています。「てへんに寿+衣」で「きぬた」と読みます。
語注・気付き
*尾崎雅嘉(おざき まさよし)1755年(宝暦5年)~ 1827年11月21日(文政10年10月3日))は、江戸時代中期から後期の国学者である。字は有魚。号は華陽、蘿月庵、博古知今堂等。通称は春蔵(俊蔵とも)医師もしくは書店と推定される家系の子として摂津の大坂に生まれる。初め奥田尚斎の門人となり、儒学を学んだ。その後、契沖が執筆、刊行した著書を参考にして国学を学び、国学と儒学を融合させた新しい学問の著書を独学で多く執筆し刊行させた。後に和歌についても学んでよくし、同郷の木村蒹葭堂や因幡生まれの京都の香川景樹一門等上方の文人とも親交を持った。(wiki)
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