書簡

遠藤宇治右衛門宛て藤井高尚書簡 藤井高尚に対する春足最初の書簡 松風の半切沢山贈ってもらったお礼 飯盛のこと 飯盛の著述について

撮影:四国大学 / 分類:手鑑1-56-1

始而貴書被下奉拝見候弥御清栄
被成御起居奉賀候坪井氏此辺
御残御座候ニ付御書通ニ而文廻し
事共御相談も可被成由承申候
御?面由御文二章両々感読
少々?得申候事共側ニ書記御返
申候松風の半切沢山ニ被贈下
忝奉謝候猶又飯盛子之短籍
是ハ承及候哥ニ而前々珎蔵此人は
狂哥ニ名高候へ共夫ゟは文章
上手ニ御座候上随筆を見候へば学問も

撮影:四国大学 / 分類:手鑑1-56-1

有之拙老在江戸候時ニ訪候而
逢可申置に今残念に存候儀ニ御座候
又売成摺物御見せ被下不残外ニ
飯盛子之著述之一冊是又感心
数々之御贈物共御厚情之意(?)
奉感謝候右御礼意如此御座候
猶追々可申承候長言
          藤井長門守
   四月十八日
遠藤宇治右衛門様

語注・気付き

*藤井長門守 藤井高尚(ふじい たかなお)明和元年1764~天保十一年1840 は、江戸時代後期の国学者・歌人・神官。本居宣長の門人として文章で最も秀でた。備中国、吉備津神社の祠官(宮司・社家頭)の高久と妻小春の子として生まれる。長じて跡を継ぐ。幼名忠之丞(ただのじょう)、通称は小膳、号は松斎、まつのや(松舎、松の舎、松屋、松の屋)。正(又は従五位下位長門守に任ぜられる。備中国加陽郡宮内字三日市(現・岡山市北区)に住する。藤井高雅の養祖父。(wiki)粕谷p265参照)
○この書簡によれば①春足が手紙を出したのは初めてであること②春足が松風という半切の紙を沢山贈呈したこと。③春足が石川雅望について何か紹介したこと。③高尚は雅望について、狂歌は勿論文章も、また学問にも造詣が深いことなどに感服。④江戸在住の時に会っておくべきだったと後悔していること、などが分かる。

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