当月七日之御状昨日相届辱拝読
致候秋冷之節愈御泰安被成御入候
由奉喜寿候然は御令弟梅蔵公
御不快ニ付名手へ御療養ニとて御出懸
ニ付拙宅へ御立寄被下忝はしめて
得貴面候何寄処之御土産被贈下?
調法可致候さて其節御差越之御詠草
老父拝見相?申候ニ付此度返上申候
御落手可被下候
一?狂人上木之事京都かゝりの書林
少々故障有之由承り申候右等ニ而遅延
いたし居申候事ニ御座候其内出来
可申候老父古風集上木之事右も此節
校合なとにかかり居候追付出来
可申候古事記伝も六帙目までハ出板故七帙目此節
板下校合なとにかゝり居申候由来年
は出来可申候○難波尾崎春蔵著述之
続異称日本伝と申ものゝ事先達而
ある人よりも承り候いまたえ見受ケ
不申候いつれにまれよろしき書物と被
存候○後??抄も次ノ帙近々之内
出板ニ相成可申候かと奉存候(?)何卒早々
右等も出板いたさせ度奉存候(?)拙家
門生之内他所ニて大分出精人多く
御座候おひおひ著述物なといてき可申候
一あかたゐ大人五十年祭会之兼題
遠江国社中より差越し申候ニ付別紙
壱枚おくり上申候御出詠可被下候但し
長うたニても短哥ニても尤新古御随意
御出詠可被下候○別紙詞書ノ哥だい
壱枚上申候先達而??申候やと尋申候
へ共先にと不存候ニ付又此度上申候
右も来年かけてゆるゆる御出詠可被下候
京ぬてのや社中の月々よみ申候題
ニて御座候先九日返事旁如此
御座候
本居左衛士
九月廿四日
遠藤宇治右衛門様
認置近日御舎弟様
御帰国便りへ御渡し
可申候
尚々御短冊御認被贈下めつらしく??致候
春之比の御??たにさく小子二冊相認上申候
御吃笑可被下候尤急書見苦しく御座候外ニ
亀のゑのかた認有?もとりそへ上申候右も
一覧可被下候以上
語注
*尾崎春蔵 (尾崎雅嘉)宝暦五年~文政十年(1755-1827) 国学者。通称春蔵。大坂の人。主著『百人一首夕話』(岩波文庫)、『群書一覧』(『吾嬬日記』冒頭参照)
*あかたゐ大人五十年祭 賀茂真淵の死去は明和6年1769。五十年祭というと1818年に当たるか。(数え年計算)
気づき
○①(春足の)弟梅蔵(萃雅)病気療養に行く途中本居宅へ立ち寄った(帰りも寄るつもりだったか)②(春足の)詠草、老父(大平)拝見 ③鉢狂人(?不明)上木の事 ④老父(大平)古風(古風体の歌集のことか?)校合中 ⑤浪華尾崎春蔵(雅嘉)『続異称日本伝』について ⑥県大人五十年祭について他
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