書簡

遠藤君宛藤井高尚書簡

撮影:四国大学 / 分類:手鑑1-45-2

去年五月三日之御状十一月十一日の貴書
何方ニ滞候事に哉所々の手を伝来候
様子ニ而同年十二月末ニ御両通の書
一統に相届申候而拝見弥御清栄之
御様子承奉欣悦候
一蜀山人之書一枚御贈被下不残忝
奉謝候且吉原十二時之文面白被存候
一御文章奉感読候少々?致書加へ
御返し申候

撮影:四国大学 / 分類:手鑑1-46-1

一御返書遅々ニ相成候訳も旧冬ゟ此春
掛け候而社中之ものゟ社家頭相手取申候
争論御座候而心配之上早春ゟ病気ニ而
枕ニ伏ながら用談ニ加り候様之事ニ而
其一条 官訴ニ相成同故并社家共
出府仕候而此頃少し落着旧冬?之
諸方の来状返事ニ取懸り候事ニ而如此
遅滞御免可被下候
一諸方文通之義京ニ而は恵比寿屋市右衛門
取次京ゟ東北ノ諸国ハ皆恵比寿屋へ出シ
申候京ゟ毎月廿日過ニ仕出シ下シ申候

撮影:四国大学 / 分類:手鑑1-46-1

右下しもの備前岡山西大寺丁かがと屋
伊右衛門と申もの取次申候四国分讃州ハ
岡山へ毎月三度之通船ニ而直ニかゝと屋へ
出し土佐ゟハ大坂え出し申候夫ゟ岡山
かゝと屋之
 大坂新齋橋筋北久太郎町ノ北
       河内屋儀助
此もの書林ニ而老拙著述板元之中????
中々御出しニ?て早速届キ申候貴家へ?
御返書出候品ハ其??ゟ御定メ可被仰聞候
京大坂にハ御得意も可有候
右之通御心得下被下候長言
           松齋
   三月廿八日
遠藤君

気づき

○恵比寿屋市右衛門 江戸後期の本屋、国学者。名を経正、範次、通称を万次郎、市右衛門といい、屋号は恵比寿屋、紙魚墨鐸舎などを号とした。恵比寿屋は寛政年間(1789-1801)から文久に至るまで千楯とその子、千屯によって営まれた書肆で、京都錦小路にあった。千楯は寛政九年(1797)から本居宣長に入門。文化十一年(1814)以降、鐸舎と号する講舎に盟友の藤井高尚らと共に、京都に宣長学の拠点を作り上げた。(コトバンク)
○松齋 藤井高尚の号(wiki)

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