のたまはせつる如く鳴門の
海の鳴とゝろきし御名ハ
徳島のとくよりきゝわたれつる
物からさいつ比いさゝかよ
すか求てこゝよりおとろ
かしまゐらせぬるを打捨
給はずいぬる夏御返を
たまはりける時錦なす
御歌に春のすり物とかいふ
作り画くさくさ(??)あるは御爪しるし
し(?)給ひしすり巻なとこゝら
そへつゝ贈給ひしかたしけ
なさに價なき宝夜
ひかる玉ともこれにしかめや
とて秘おき侍りぬその
かへりこととく聞えまゐらす
へきを何くれと家の業に
かゝつらひて心の外に等閑に
なむ成侍ぬる無礼をも
せめ給はでこたみ御屏風の
歌集給ふとておのれが
哥か言をさへ乞給はむと
再ねもころに仰せ給はする
そ嬉しくなむ京に鄙に
名あるすき人共の言葉に
ならへん心は枯たるあし
玉の樹々に倚れるたぐひにて中々に
汗あ?る斗になむしかハ
あれとあまりにもとき侍らむも
なめけにて罪を重ぬる成と
おほけなくも筆を採て二ひら
三ひら書贈りぬ猶おのれか
手にを葉にもたとたとしくいたり少き
をはみゆるゐ給ひねかし
さるを玉金をこひ聞ゆる
との給ひかけたる言葉の
よろこはしさはいとまばゆく
恥しくなむいてや同し門に
遊へる友垣多なる中にも
主の言葉のみ道にゆかしく
思ひ給へ侍る今よりハ間遠の?の
間遠くとも石井の里の
水茎の便よからん時々は
御消息し給ひてよ
日にけに寒さまさり侍るを
よく凌き給へかしあなかしこ
平弘器
しはす十日あまり
二日
六々園大人
御許へ
語注
*平弘器 「同し門に遊へる友垣」とあるので本居大平の同門として春足とつきあいのあった人だろう。外に短冊も残されている。
*錦なす御歌に春のすり物とかいふ作り画くさくさ 平弘器から春足に送った手紙に対する春足の返書に添えられたものだろう。「春のすり物」とは錦絵1-28-3、錦絵1-28-5のことか?
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