摺りもの

春興帖・狂歌募集広告

撮影:四国大学 / 分類:手鑑1-27-4

乙亥 春興帖
六樹園撰

戌ノ十一月廿八日 集
亥ノ正月十三日 集冊
六樹園読初の席ニテ呈上
集所(略)

右ハ御一人御もち哥にても思召次第
数多玉詠御恵投被下その内にて
六樹園のえらひにて御一首到来順に
出板仕候
○これ迄の春興帖とは事かはり
画工彫刻とも吟味仕袋入に仕候
遠近の諸君相かハらすご出詠のほと
奉希候

こたひ駟馬園盛砂春興帖といふ
ものつくり出んとすいといまめしくも
あらぬわさなからこハ狂蝶子文丸
としころうもれいたきまてひきこも
りて万はえなくさうさうしかれハ此人
ひき出てにきはしくとりつかひ
てんとの企にて侍り入料ハ更なり
卒業ニいたるまてすへて盛砂のこゝ
ろひとつにとりまかなひてきひしく
延引すましき心かまえに侍り遠近の
かすに入りなんこと文丸がさいは
ひ申さんもさらなりうしろミする
盛砂かよろこびも大からならすなん
おのれもおかたちて此ことにかゝつらひ
いとなみて侍れはもろこゝろにちから
をあはせ給はんことをふかくねかひ
聞ゆるになん
            六樹園

補助 五側総連 尾州、濃州、三州、勢州、泉州、阿州、上州、羽州、奥州
(中略)
会主 塵外楼他
入料 御一人 弐百孔

語注

*文化文政期で乙亥に該当するのは文化十二年(1815)。この春の春興帖か。

気づき

○六樹園の口上によると会主は駟馬園盛砂だが盛砂が面倒を見ていた狂蝶子文丸が、当時ひきこもりぎみで元気がなかったので彼を元気づけるためこの会を企てたとある。盛砂・文丸ともに手鑑2の六樹園書簡にはたびたび話題になっている人物である。

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