うさきたぬきのものかたりをよめる
哥?にみしかうた 水技(枝?)
むかしへにかりすることをなりとしてたけき
翁のありきとふそれのを(お)きなかある時に
たぬきいけとり縄つけていへにもてかへり
うつはりにたかく引かけいつくにかいてゝ
行けるおうなハもよく(こ)すをたてゝ
麦つくと庭にいつれハうつはりのたぬき
つくらく此なハを翁てたはらハいたつきを
吾たすけはや何事も君かまにまにつか
へんとわふるをきゝてひたすらにあはれと
もひて其なはをときはなてれはたちよりて
ともにつきつゝあかきミかつきちらせるハ
ことことにわれしひろはんわかかたにつき
ちらせるハみなからにきミしとらせといひ
けるにそのことのことまへによりとらんと
すればたゝむきをつよくとらへてうす
ぬちにひこつらひいれこくこくとつかえつかえ
からにたちまちにいのちしにけりうつそミはハ
はかなきものとたなすゑを打てゑミつゝ
其肉にあつものつくり刀自となりもや
にそゐたるさてをちはたそかれちかく
かへりきてかなとにいれははつねのことまち
よろこひてたぬきをばほふりてにしと
あしなへのまゝにもちいてかの肉を盤にもり
つゝいたせるをうまかるものと取あけてくひて
終れハあやしかも刀自にありしか年経たる
けのあらものともとのことむさねあらハし
汝つまのおうなくらひし翁かもおうな
くらひしをちかもとたかくかたひてとの
かたにかけてそいてしかきてゝきかミ
たけひてあしすりしおひしきゆきて
また更に取ふきたらんよしなきをなけかひ
をれハしろうさきかとにとひきて何ゆゑに
さハなけかすとねもころにとひしさ
くるにありしことうちかたらへはをゝし
かるこゝろふりおこし其かたきいとり
来らんほとあらしまたせ吾勢とやま
ふかく尋入つゝましはかりそれのましは
の技ことに油をそゝきかつらもてゆひて
とり技たにそこのしもとの中に家つくり
なまりてをれるたぬきらかもとにいたりて
のしはをおひてたはらはまひせんといふを
うへなひおひもちてさかしき路をこのね
とりうそふきのほるしりにたちしのひしのひに
火きりきねはやくとりいてゝきりいたす
ほのほうつりてもえあかるしはにやかえて
すへてすへてころもはかえて岩かねを
まきてこやしぬよろしくもことなりぬとて
まつらへにちかくゐよりていかさまにかゝり
けめかもうむき?きたかひ媛のみくすりを
こゝにそもたるこのくすりぬらハいえんと
烟ひて草をこしたく取あつめねりたる
ものをはたなるそひらにぬれハいよいよに
たへかたしとてきしとふかゝる兎か
ほかりことさハにありしを絵にうつし
うなゐこともにしめさんといまもひさける
いち叙さかえし
かへしうた
あるはまた木舟つちふねあらそひ
しをさけたぬきの物語せん
?成書
気づき
〇カチカチ山の話を長歌にし、その反歌を添えた物。鈴木馨氏年譜によると天保一年1830「さるかに物語刊行」とあり、やはり昔話を素材に翻案したり長歌を詠んでいる。その類いか、なお調査する必要がある。
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