六々漫談書冊(版本・狂歌集・自筆稿本等)

『吾嬬日記』と題する遠藤春足旅日記(序文・大江広海、石川雅望)

【3/27-4/2】島田~興津~沼津~箱根~小田原~戸塚~江戸・八丁堀

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2020030

はらとりの法師(*)のきて御あしたまへなどいへばけふハ山こえに
いたうこうじにたれバよびいれてものさすとておのれいふ
やうかゝる人はをかしきものかたりなどもするぞかし
人々笑ひぬべからんものがたりし給へ日ごろのものわびしさ
をもわすれんといへば法師おのれはくちてづゝにて人のわら
ひ給ふばかりのものがたりハえしはべらじさはれただおのれ
が友だちのうへにありけることをさながらにだにきこえ侍
らんといへばそハそらものがたりよりハまさることぞかしい
づらいづらとせめけれバ法師ハしばぶきうちしてされバ此すく
に某といへるあき人はべりそれがつまハみめことがらハすぐれ

てよかりけれどもあだあだしきこゝろそひたるものにてつねみにそ
か男まうけてをりをりしのびあひてはべり此ことあるしにつぐる
ものありけれバこんをはかりてころさんとおもひて妻にハ
遠くものへゆきて今四日五日がほどはかへるまじといひて
そらいきをしてうかがひてはべりめハかゝることゝハつゆしらね
ばいみじうよろこびつゝやがてみそか男よびいれてかたらひ
をりあるじのをとこ夜ふけてみそかにかへりきてたちきくに
男女のしのびてものいふけしきしけりさればよかくしを
とこきにけりとおもひてまづかどの戸をはたはたとうち
たたきてあけよあけよとくとくといへば妻はうちおどろきてわが夫


*はらとりの法師 はらとり 腹部の按摩をすること(日本国大)

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2020031

かへりき給へりいかがハせんといへばみそかをもおもひかけぬことなれば
いみじうあわてまどひてそこらはひめぐらふを妻ハやがて
かたはらにいと大きなる袋のあるを見いでゝこれこそ神の御た
すけなれとてやがて此中にかの男をおしいれつゝひきくゝりて
おきぬさてさらぬふりにてやり戸ひきあくれバあるじハいとふ
づくミたる(*)おもゝちしていりきつゝ家のうちみめくらすにさる
べきものもあたりに見えざれバいづちにげていにけるにかとし
そくとりなどして見るにふとかの袋にしたゝかなるものゝいりてあるを
見出ぬたちまち眼をあかがち(*)のやうになしつゝうちにらみてこのふ
くろこそあやしけれ何をかいれたるととへバめハあまりにあるじ

のはらただしきありさまにおそれてただくちつぐみてふつに
えこたへずあるじハいよいよ声あらゝらげていかにいかにとあわたゝし
うせめいへバみそかをハ袋の中にてあはれとく米なりといへかし
いへかしとおもへど猶えいはねバ今はしのびかねみづから声
うちあげてこれこそ米にてはべれといひけるにぞけせう(*)に
みそかをといふことあらハれて侍りとかたりけるにぞおのれもず
さもともに顎をはなちて笑ひあへりけるげにむかしハ佐夜
の中山の石よるなき今ハ島田の某の米囊の中にてもの
いふと利口(*)しければまた人わらふ
〇廿八日うつの山をこえ阿部川をわたりて狐崎といへるにいたる


*ふつくミたる ふつくむ 怒る(旺古)
*あかがち 酸漿の古名(コトバンク)
*けせう 顕証 けしょう (旺古) あらわで人目につくこと(goo辞典)
*利口 冗談をいうこと(旺古)

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2020032

此所はむかし梶原某(*)のうたれたるわたりにて塚などもありとか
此ひとぞう(*)ハそのかみ鎌倉にてハたれもたれもおそろしきものに
いひあへりしをはてはてハただ一ときにしもほろびぬときくぞあ
へなき
   風ふけバきえてあとなくなりにけり
    しばしは月をおほふうき雲
くれちかくなるほど清見寺のまへをゆく清見が関といへるも
このわたりなりとかげにおきのかたに釣するふねどものあまた
ゆきかふさま嵐のさそふ木の葉なりけりといへるにもたがはざり
けりとぞおぼゆる興津の大国屋といふにとどまる此すくハなべ

て海にむかひて右のかたに三保の松原ながくさしいで左のか
たに不尽の峯いとたかうそびゆ此家ハことに海のおもてにしもつ
くり出たれバ浪ただ枕かみにうちよするやうにおぼえて
   うら浪の音にそこゆるふるさとに
    かよひなれにし夢のうき橋
〇廿九日朝薩埵山こゆ不尽の眺望ナガメハいづくハあれどこの
所なんことにすぐれたりとて代々の絵師たちもむねとこゝ
のさまを写すことにハすめるげに山もとまでも波たちくる入
海のうへにたゝ白き扇などかけたらんやうに見えたるさまもろこし
ハさらなりもろもろのにしのはての国々にもまたたぐひあるべうも


*梶原某 梶原景時
*ひとぞう 一族(旺古)

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2020033

おほえす
   かくばかりくすしき(*)山をうミませる
    吾神祖カンロキの尊くもあるか
ゆくゆく猶みれハ海の水のあをきにくろき鳥のむれゐたる
ふじの雪の白きに朝日のいとあかうさし出たるなとむかし
土左のかう(*)の五色に今一いろたらぬとはれけんことをもおもひ
出られつ此坂をくだりはつれハ西倉沢とて家ごとに栄螺サザエアハビ
など貝ながらやきてうるこゝをすぎて由井蒲原をゆくに
すべて海辺にてふじのねのながめいはんかたなし赤人の雪
ハ降けるとよミ給へる田児の浦も此わたりなりとか

   時じくにいや降しきてとことハにきこえずといへバ
   いにしへに。山部のうしの田児の浦ゆ。うち出て見けん。
   其時の其白雪も。千代をへて今もあるらし。不尽の高
   峰に
ふじ川ふねにてわたる此川づらより馬にのりてゆくに
元市場とかいうに白酒うる家ありおのれハ下戸なれば鞍の
上なからちやう碗にてのむを女ども肥後の国の芋幹ズイキなりと
ていと白うながやなるをもて出て御家?イヘヅトにめし給へなど
いふこハ何の料にまうけたるものにかとゝへばただうちほゝゑみたる
のミにてさだかなるこたへをもきかざれハおぼつかなくてかハずなり


*くすしき くすし(奇し)人智を越える不思議な感じ、神秘的・霊妙だ(旺古)
*土左のかう 土佐の守 「所の名は黒く、松の色は青く、磯の波は雪のごとくに、貝の色は蘇芳に五色にいまひといろぞ足らぬ(土佐日記)

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2020034

ぬゆくゆく馬ひけるをのこにとへばえもいはぬことどもいへるハまこと
にやあらんしらずけふハ一日ただふじの麓をのみゆけば
   あすもまたかくてやゆかんをとつひも
    きのふもけふも不二のすそのを
沼津のすくにやどりもとめんとて元問屋といふにたちよれバこ
よひハ西の国しり給へる某のかう殿のやどらせ給へりとて家の
うちいたうひしめきぬかゝれバ人やどすいへにハ大かた此殿人た
ちのとどまりゐ給へばわがともがらハからうしてすくのはて
なる何とかや名もしらぬにやとりぬふじの雪風まだ寒けれバと
てすこしあかしミたれど例のひたゝれめくものひきてふしけるに何のあるに

かそこかしこかゆきこゝちしていとどいもねられず
〇晦日けふは箱根の山ごえなれバとてまだ夜をこめてたち出
つゝあけがたに三島にいたるこゝより竹輿にのりてゆきつゝ不
尽平とかいへるよりふじを見て
   はるかにも来ぬるものかなはるかなる
    ふじをもはるかあとに見るまて
かゝるけハしき山路をも夢ながら人にかゝれつゝはやくもたう
げにいたるげにあしなうしてゆくとかいへる銭
の神のみとくぞたぐひもなくたふとくハおぼ
えし

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2020036

   おもひきや筥根の山をふるさとの
    ゆめみなからにこえむものとは
たうけよりハかちにて御関をもことなうこえゆくに眼驚く
はかりなるいみじき湖あり
   雲ふみてのぼれる峯に思ひきや
    きしうつ波のおときかんとハ
また不二を見て
   のぼらずばいかでしるべき箱根山
    たむけ(*)をふじのふもとなりとハ
箱根権現の御社へも此わたりよりゆくよししるべの石なども

たちてあれどえまうでずそのわたりのわらハどもの御かハり
にまうで奉らんといへるに手向の銭とらせつゝぬかづきてすぐ
やゝくだりゆきて波多(*)といへる所にいこふ此山にハ温泉イデユ七所あり
てをちこちの人々いと多く集りをるとかそこにていてきぬる
ものなりとてくさぐさうるハしき箱などうるを家づとにとてかふ
人もおほかりなほくだりゆきて小田原のすくに小清水といふにとゝまる
〇四月朔日こゝを出て大磯までゆけバかの西行上人のこゝろな
き(*)身にもあはれハしられけりとよまれたる所なりとてよきほど
の庵あり沢のかた見やりたるにげに秋ならねどもさびしき
こゝちぞせられたるそもそも此上人のよまれたる歌ハしもいとおほかれど


*たむけ 峠(旺古)
*波多 今箱根に「畑宿」というところあり。
*こゝろなき こころなき身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕暮れ 西行 三夕の歌

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2020037

こはことによしとおもハれたるにや俊成卿の千載集撰み給へると
き上人は東のかたにありけるが勅撰ありときゝてゆかし
さにふりはへてのぼられけるに登蓮法師にあひければこたび
の勅撰にわが鴫立沢の秋の夕ぐれといふ歌やいりたるとゝふに
見えざりしよしこたへければさてハ此集見るえうなしと
いひてそれよりまた東へかへられけるとかさて藤沢をすぎて
戸塚の中村屋といふにやどるにさうじひとへとなりのかたにハ
遊びだつもの(*)ゝきてありてとかくいひしらふこゑきこゆ
   さだめなき身にもあはれと思ふらん
    夜ことにかはる艸のまくらを

〇二日けふは江戸につきぬべう思へバめもあはずてまだくらき
よりおきいでゝゆく川崎といふをすぎて玉川あり舟にてわたる今ハ
六郷川といふむかしハ大橋ありけるを元禄のころよりかうふね
にハなりたりとか大森といふにてものなどくひて品川の
かたへゆくに此わたり海のほとりにてはるかに江戸かたの見
えたるまたいみじう大きなる船どものかずかずうきたるなどげに
かかるゆたけき大御代のにきハゝしさもしられてめでたきことかぎりなし
   かぎりなき江戸のさかえハかぎりなく
    海原にうくたからにぞしる
またから国人の江戸にまゐりたるがかへりけるにあひ


*遊びだつもの 遊女を指すか? 一家に遊女も寝たり萩と月 (奥の細道)

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2020038

けれハ
   もろこしの人にとはゝやその国に
    かくさかりなるさとのありやと
かくて七の鼓鳴ころ八丁堀なるおのれがかまへおきたる
家にハつきぬ
              遠藤春足

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2020039

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