六々漫談書冊(版本・狂歌集・自筆稿本等)

『吾嬬日記』と題する遠藤春足旅日記(序文・大江広海、石川雅望)

【3/25-3/27】吉田~浜松~島田

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2020023

ハ竹輿にゆられたるけにやあらんへどつきなどしてくるし
かればいまハとて吉田の橘屋といふにやどりぬ時ハまだ
うまのかいふくほどなべしさてくすしをよびて
湯のませはらとりのほうししてかいなでさせなど
するに申ばかりよりやうやうこゝろさはやぎぬとてもの
くひなどしけるうれしさ何にかハたとへんされば此よろこび
にとていさゝか酒ものさせけるにはやくも遊びだつことのゝ
きて三絃ミツノヲの琴かいひきつゝ声をかしううたひたるさま
などけしうハあらずはやうよのわらハ謡に吉田女郎衆ハ
かうたへるもげにとぞおぼえたる

   旅路にもにほへる花はあるものを
    草のまくらとなになげきけむ
○廿六日ねやのうちのひとりごとに
   しらさりき草のまくらにかくはかり
    にほへる花のかをしめんとハ
房をいづとて
   けさはまた雨そふるなるめつらしく
    露おかさりしくさのまくらに
けふハていけよくずさもつねのやうになりぬといへばはやく
より出たつを女はとのかたまでおくり出つゝとくかへりの

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2020024

ぼり給へまちて侍らんなどいへるしりめもにくからず
   こよひまた夢にや見えんかハ竹の
    ひとよのふしのかりのまくらも
白須賀より竹輿にのる此スクにハはやう夏目ノ瓶麿といふ
人ありこは故本居大人のをしへ子にして古学にふかくこゝ
ろいれつゝ類語とか類纂とかいへる書著さんとてとし
ごろいそしミものせられたるををとどしばかりにやあり
けむ京にものしてつひにかしこにてなくなりにたり
ときゝけるぞいともいともあたらしき
   東路にありつる人をおもひきや

    にしにむかひてなげくべしとハ
かくて一里ばかりゆきて橋もとゝいふところありこれいに
しへの駅宿ウマツギにてかの浜名の橋本なりとかむかし右大将
頼朝卿此駅にやどらせ給ひてかずかずのあそびどもの
まゐりたるにものかづけ給ひたること東鑑に見えたり
此浜名の橋つくれたるよしハ三代実録に見えたれど
いつこのころよりかかうハたえたりけんしらずかし
   こゝろにハかけてぞしのぶいにしへの
    浜名の橋ハ名のミなれども
新居よりふねにのる此わたり一里あなれど風よければ

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2020025

にや烟草二つぎ三つぎばかりくゆらすほどに舞阪に
つきぬこゝよりまた雨ふり出ぬれば雨衣につゝまれつゝ
ゆきてからうじて浜松の鍋屋といふにやどる万葉集
に引馬野ににほふハギ原とよミたるハすなハち此ところ
なることは十六夜日記いざよひにきにこよひ引馬野(*)の宿といふ所に
とどまる此所の大かたの名ハ浜松とそいひしとある
にてしれたり
○廿七日雨やむけふハ大井河わたらんとてまだくらきよ
りおき出つゝゆきて日のさしいづるほどに天龍河わたる
此河の東のきしを池田の里といふこれもむかしの駅宿に

て其ころハあそびなどもあまたありしとぞかの宗盛の
大臣のめで給ひたる湯谷ユヤの侍従(*)といへるも則このすくの
長が娘にて今も行奥寺とかいへるに其塚などもあり
とぞそのかみ平家のときめきけるころかの大臣の
花の宴になれしあづまの花や散らんとながめてふ
るさとにしもかへりたるこゝろふかさたれかハめでおもハ
ざらむ
   をしみしもなれしも散てちるらむと
    よミしこと葉の花ぞのこれる
見附袋井掛川などいへるすくをすぎて日阪にいたれば


*引馬野 引馬野ににほふ榛原入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに(万 巻一ー57)
*湯谷の侍従 熊野 池田の遊女。

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2020026

屋ごとに蕨もちひをものしてめせめせといふこゑいと
かしがまし
   たがた?(め?)に蕨もちひをうるならん
    いひにうゑにし人もなき世に
かの清原のおもとのさのミきゝけんとやいはれ給ふらんと
おもふぞいとをかしきとかゝれたるコトマゝの社(*)も此わたりにやと
   大井川わたりやすくといのらむや
    おもへることのまゝの神垣
佐夜の中山をのぼりゆくに無間山観音寺へゆく道と
ゑりたる石たちたり此寺にハ無間の鐘とかいへるありてたれに

まれこれをつきたらんものハ風のふきつくるやうにとくつき
てこがね白かねこゝろのまにまにみちくるなれど死してのゝ
ちハ無間地獄とかいへるにおつとてかゝる名ハおほせたる
よしはやくよりいひつたへたれど例のあとなしことなるべし
またこゝに夜啼石といふありいかなる時にかなきたり
けんしらず
   とこしへにかハることなき玉かしハ
    何をうしとて夜なきすならん
やゝくだりて里にいづれバ土橋わたせる河ありこれなん
菊河なりといふかの西岸に宿して命をうしなふと


*言の任の屋代 掛川市八坂 事任(ことのまま)八幡宮あり。

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2020028

かゝれし承久のむかし(*)同し流れに身をやしつめんとよま
れたる元弘のいにしへかれといひこれといひあはれいはんかたなし
   ふりし世のこときく河のながれにハ
    袖をぬらさぬ人しもぞなき
ほどなく金谷にいづこれより島田へは一里ありて大井
河かハらいとひろしおもひ出る都のことは大井河(*)と阿仏尼君
のよミ給へるもおもひ出られつさてけふハきのふのなごりにて
ただうちくもりてのミなんありけるを申ばかりにやあらん
いさゝか晴ける雲間にはじめて不尽の峯いと白うあら
ハれ出たるハかのから猫のつなにひきあけられたるみすのひまよ

りゆくりなういとらうたげなるうちぎ姿の見えそめ
たりけんこゝちせられてうれしきことかぎりなしさるをずさ
のをのこハ猶不尽てふことをもえしらであれハなにぞと道
行人にとひなどしけるもげにい(こ?)とわりなりはじめてう
ちみたらんに是山なるべしとハいかでかおもふべきされば
其こゝろを長歌にものしつ
   難波津を手習ふころゆ不尽の山絵がくをミれバ
   不尽といふことをししりて山の名ハとハでぞあり
   しかくのミいちしるき山かくの名高き山を其山のあ
   りといふなるうちよする駿河の国にはろはろにきつゝ


*昔南陽県菊水/汲下流而延齢/今東海道菊河/宿西岸而失命 中納言宗行  古もかかるためしを菊川の同じ流れに身をや沈めん 日野俊基(太平記)
*おもひ出る都のことはおほゐ川いく瀬の石も数えおよばじ(十六夜日記)

撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2020029

   し見れハ其山ハあやしきかも麓より雲たちのほり
   しか山のありともしれずしか峯の高きも見ねハい
   づくにか山ハあるらむいづくにか峰ハあなると久堅の
   雲ゐをのミいたづらに仰ぎしをれば級戸倍シナトヘの風ふ
   きたちておもほえずはるゝ雲間に筑紫綿つミ
   たる如く真白なるものぞ見えけるこれハしもあや
   しきものと里人にことゝひきけばこれぞかの不尽とし
   いへるかくのミいちじるき山かくのミ名高き峯をま
   さめにハ見れどえしらで里人にことゝひきけること
   のあやしさ

     反歌
   写し絵を見れバまつしる不尽の山を
    まさめに見つゝとふかあやしさ
大井河にいたれハむくつけき男のあかはだかなるがきて
かこにのせつゝわたる水ハしりにつくばかりなるが流れのはやき
ことただ射る箭などのやうにてめくるめき身もわなゝかれ
きも魂もうするこゝちす
 かくばかりあらき早瀬を日のほどに
    いくたひわたりゆくそかち人
大井河ことなくわたりて嶋田の松屋にとどまるほどなう

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