六々漫談刊本・自筆稿本等

『吾嬬日記』と題する遠藤春足旅日記(序文・大江広海、石川雅望)

【3/16-3/20】徳島~淡路島~大坂~小浜~伏見~大津

吾嬬日記
ことし文政七年三月十六日ずさひとりを具して江戸え(に?)
出たつことありそもそもおのれが家ハとしごろ染草を東の
国々にうることを家のなりとすなれハ三とせ四とせか
ほとにはかならずかうミづからものすることになんありける
例は大阪までハ大かた海路をものすめれどこのほとハいと
たびたび雨のふりけれバかちぢこそよからめとて淡路の
かたへとこゝろさすかくてもなほ二三里はかりのわたり
二ところまであなれバふねにのるべきところ撫養といふ
までものして桶屋といふにやどりぬこゝまでハおひくる人

あり夜ふくるまてかたミにわかれがたきことなどいひて
   かはしつゝいぬるたもとも峰いくへ
    へたてゝあすは露やむすはん
○十七日辰はかりよりふなですていけ(*)よくおひ風さへさと  
吹きてうち見るほとに今ものせしわたりは松も人
もいとちいさくなるまでとほくなりぬきしにもいふこと(*)
あるべしふねにもおもふことあれどかひなしといひけん
むかしのことをもおもひいでぬ
   のこりぬることつたへてよいてゝこし
    磯辺をさしてかへるしら浪

やゝ沖にいづるほどに何の鳴にかあらんごほごほときこえ
けれはいとあやしくおもひて舟人にとへばこれなむ
鳴門の浪のさわぐなるといふさしもとおもひいでゝ
見やれハいとはるかなるなみのうへに雪などのつ
もりたらんやうに見ゆるハかの所なるへし
   あた見たる(*)乕かほゆるとおひえしハ
    なるとの浪のさハくなりけり
また雲井につづくばかりひろく大きなるわだ中に
ただ一すぢ川などのやうにいミじうはやう水のながるゝ
ありこれハいかにととへば鳴門のしほすぢなりといふ


*ていけ 天気のこと(旺古)
*「岸にもいふ事あるべし、船にも思ふことあれどかひなし」(土佐日記正月九日)
*あだ見たる あだむ(仇む) うらむ、かたきとする あだみたる虎がほゆると諸人のおびゆるまでに(万・二・198)

   神代よりたゆることなく朝な夕な
    しほひしほミつ海のあやしさ
おひ風やまずふきぬれバいとはやくてまだ午バかり
に淡路の国吹浦といふにつくこゝより七里はかりゆき
て塩尾浦のいせやといふにやどりぬ
○十八日あけぐれのほどよりおき出つゝまた船にのる例は
須磨のかたへものするをけふハてけよけれバとて大坂のかたへ
漕ゆく午ばかりよりまたおひ風ふき出てふねハいとはやし
海士人の釣するを見て
   わたるまもやすきこゝろは浪の上に

    ところえ顔の蜑のつりふね
かならず
たそかれころ大阪の安治川わたりに船つきて堀江
の和泉屋といふにやどる
○十九日小浜へものして尾崎翁(後注)をとふらふ翁ハからやまと
のはかせにてはやうよりおのれこゝにものするごとに必とひ
とふらひゆきけれハいみぢくよろこばれつゝミづからくだもの
赤傍線部「もとのまゝ
もて出などして何くれとものがたりせらるさてとしごろもの
せられたる続異称日本伝三百十二巻からうしてかきをへ
られしとてとう出て見せらるげにもろこしにありとあるフミ
どもののこるくまなうよみわたしていさゝかにてもわが国のこといへる

ふしあれハことごとくかき出られたるらうのほといにしへ今に
たぐひあるべうもおほえずはやう松下某のものせられたる
を見てだにいとひろくもあつめられしものかなとまづおとろ
かれぬるを今此書にならべ見れは十の一にもたらすぞ
ありけるさて天満神の御社も此わたりよりハほと近し
ときけハ翁にわかれてみ名におふ橋をわたりつゝ
御社にまうで奉りて
  浪速津を手ならふむかし其手師(*)の告ていへらく
  筆の道学ふとならバ天満アマミツる此大神を朝宵に
  いつきまつれとねもころにをしへさとして月ことの

  廿日あまり五日てふ其日になれハいはひ御酒ミキ献り
  机代のものらそなへてともともにいつきまつりぬかく
  のミにをしへてあれハ竹馬に乗て遊へる総角アゲマキ
  其時より天満る神としいへは筆の道まもらす神と
  かつかつもしりてそありしやうやうに人となりつゝ書をしも
  よみ見るからに此神のあつめ給へる国史クニフミつくり給へる
  言さへくからのやまとの歌をしもよみてしおもへは
  此神ハからのやまとの書をしもひろくあきらめ天の
  下にたぐふ人なくすくれたる神にハましぬかくのミの
  学ひのみかハ朝廷ミカドべにマメなることも国民をアハれむ


*手師 文字を巧みに書く人、能書家。(日本国大)

  ことも世の中にたくふ人なくすぐれたる神にまし
  ましけり高き木ハ風におらると諺にいひけんごとく
  それをしも佞人等ネジケヒトラのふかくしも妬ミにくみてかし
  こくも讒言よこしまをせハ禍津日の神のしわざかうれたくも
  都を出て不知火シラヌヒ筑紫の国にはろはろにうつりいで
  ましそこにしも年月つゝ二月キサラギの残れる雪ともろ
  ともにきえ給ひけり命こそかくハきえぬれくすハ
  しき(*)其神霊ミタマハも久堅の天にかけりて雨雲をふみ
  とどろかす鳴神とならせ給ひ讒言ヨコスをハいひてありへし
  ねぢけたる人らことごとうちきはめころしたまひぬ

  須売良岐の神の命も罪なきを罪せしことをふかく
  しも歎かせ給ひいたくしも憂給ひて尊きや後の
  御号ミナをハ天満る神とただへて万世にいつきまつ
  らす宮所古礼
     反歌
   いかつちの事ハしらねと千年まで
    国もとゝろにひゝく神の名
   誰人かしぬはすあらむ梅すらも
    御あとおひきときける大神
申ばかりに堀江にかへれハしれる人これかれとひく日くる


*くすハしき (くすはし)神秘的だ、不思議だ。(旺古)

れハやかて四橋にいたりてふねにのる此ふねハ淀河を伏水
までのぼるにてをちこちの旅人どもいとおほくつどひたり
そは東人アツマもあれハ筑紫人もありてかたミにたみたる
こゑしてとりとりうちかたらひたるもをかしさて夜のふけ
ゆくまゝにふすとしもなくていさゝかうちまどろミたるに
俄に大声にのゝしりさわぐものありこは何こどの出き
たるにてかとうち驚きつゝかしらもたげてきけばただ
ものうる人のきて酒のめもちひくへなどいへるにぞありける
此わたりハ平方とかいひてかうひたぶるにむくつけうなめげ
なることのうちいひてものうるなんこゝのならひには

ありけるとぞ今はよもいたうふけたれハにやはやうかし
ましうさへづりあひたる人々もミな夢になりてただ鼾のおと
のミごほごほときこゆ
   ふなをさにことゝひてましいくさとの
    人のゆめをかのせてのほると
○廿日ひのいつるほとに伏水に船つく大仏屋とかいへる
にてものくひて大津のかたへものす相阪にてさくらの
咲たるを見て
   咲匂ふ花のさかりにあふ坂は
    こゝろをとむる関にそありける

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