文政七年
東日記
遠藤春足が阿波から江戸へ行く道中を記した旅日記。遠藤家は藍商を営んでおり、江戸にも店を置いていたが、春足は三、四年に一度様子を見に江戸に出向いていたとのこと。今回の吾嬬日記(表紙には「東日記」)は文政七年(1824年)三月十六日から四月二日にかけてのもの。
序文(大江広海、石川雅望)
あし曳の山のち?かけとも所ともにおきて
させられしよりひむかしの国の海へた西国の
うらつたひすきすきに書ら気もてゆきてぬて
ゆらくはゆまちやちまたになむわかれ来
にけるしかはあれと鳥かなくあつまち
の今のいきかひハかりミさかりにきまたるハ
あらさりけらし草枕たひのすさミのかき
にきともあまたあなるかなかニ紀朝臣の
はかりめてたきハあらぬにやあるハしほうミの
ほとりニてあされあへるあるは一文字を
たにしらぬものらかあしは十もしにふミてそ
遊ふなといひてなほと??しあされ
はみたる筆つかひのなかなかにほひありて
千とせののちさへそのおもかけみるこゝち
してすゝろかるくなりこゝに此日記はしも
山のたゝすまひ水のなかれをしろき松ハらの
けしき?へてたれもたれもしるしつへうあめる
ことゝもははふき高い者?朝鳥のあさ
立いつるあしもとゝろくかきろひの
ゆふさり屋とかうまやのたハわさまてけに?
いひのつまことしひの葉のしたゝりつゆ
もらさぬおかしさかきりなしや我はた
所のかみ度々往かひなつかしまるれハかへさひ
よミ?さなりさなりとうべなひたりき
文政十一年八月 大江広海(後注)
道のゆくてに筆をとらんことやすき
に似てかたしともかたしけはしき山
路底ふかきわたり川なとゆきやす
からんやはふるさとのとほくなるをかへ
りみゆくさきのはるかなるをおもへハ
おかしきけしきもものにもあらすされ
ばみちの記にしるしゝ歌ともハつねの
歌とハやうかはりてすくれたるものすくなし
とある人はいひきこのさうしは阿波
の国なる六々園のあるしか文政七年
の春大江戸のかたにくたりけるときみち
すからかきつゝりたるものとなん此ひとハ
本居宣長か弟子にてことのはのみちを
かしこくさとりてかのあたりにてもみな
かたさりてつゆをこつく人な?とそきくハ
およひぬるけにふミのさまいさゝかあやまてる
たきまていといとめてたくにしるしつけ
られたるこれにはしかきせよとのたまひお
こせつれとあつま人の口にかけてとやかく
やとほめ聞へんハなかなかにものそこなひに
やとおもへはせためんくちをふたかんはかり
に横なまりたる声をひそめてかたつかた
をのミのはへてやミつ
六樹園のあるし雅望
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