富貴自在徳嶋につとへる歌膝のろくろく
のひとつら鳴門の浪の花を題にてこゝ
かしこにしをりしつゝ桜間の池のふかき
あさきをいとはす善六橋のたわむはかりこゝらの
ことのはをよせあつめつかくて大麻彦の
御まつりのくらへ馬といふ式にならひて
なにかしらに鞭をとらせてとしとおそき
をこゝろミんとすおもふたつぼに北山桜
こゝらで一首せい見山地蔵のかほの
さんど飛脚京なにはをさへもよほし
ものして矢上の楠のおほきなるまとゐの
むしろをひらきにたりさるハその名も
なる瀧の玉なす詞のいやたかきいやの高橋
こなひける雲多楼のあるじをもて
わかめかるてふさとのあまのおやぢぶん
とはあふぐなるへし此木津上の角力
たちにわれ勝浦といさむもあらん又一言
も伝内左衛門降参をするものもあらんか
こゝか言下の八坂八濱なかなかおかしき
見ものにこそいてや此国の名産なる藍
より青き千代の松はらなかくひさしく
此会のうちつゝきなんことをいひて阿波の
しまわの島屋便りに海山ふかきこゝろはかりを
一筆啓上のはしつかたに封じておくりつかはす
になん 六樹園
語注・気付き
*『六々園漫録』に次のような見出しがあってこの文章を載せている。 「○文化十三丙子春六々社の人々六樹園翁塵外楼ぬしおのれ?人を判者として花の歌とも集めけるとき六樹園翁のもとよりかきておこされたる文。」
〇雅望お得意の~尽くし(阿波の名所づくし)になっている。その名前の大半は立石氏によれば「阿波名所図会」によっているとのこと(本文中に出てくる阿波の名所十五カ所(地蔵を含む)のうち十二カ所は阿波名所図会目録に掲載されているもの)。もしこの文章を以て「六樹園が阿波に来たことがある」とするならば間違いであろう。
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