書簡

六々園宛て千柳亭??書簡

解読できず

撮影:四国大学 / 分類:手鑑1-47-1
撮影:四国大学 / 分類:手鑑1-47-1
撮影:四国大学 / 分類:手鑑1-47-1

   千柳亭紅厚(唐麿?)
 十一月廿五日
 六々園大人

語注

*千柳亭唐麿(読み)せんりゅうてい からまる
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千柳亭唐麿」の解説
千柳亭唐麿 せんりゅうてい-からまる1793~1864 江戸時代後期の医師,狂歌師。寛政5年4月25日生まれ。陸奥(むつ)仙台藩医。狂歌をこのみ,三陀羅(さんだら)法師の門にはいり,一葉を名のる。のち五側(ごがわ)の判者。元治(げんじ)元年5月5日死去。72歳(一説に77歳)。姓は錦織。名は弘景。字(あざな)は子徳。通称は即休。別号に糸唐丸,六勿園,綾彦(あやひこ)など。編著に「狂歌綾むしろ」「奥の海」など。

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