摺りもの

六樹園艸庵新造狂歌合(広告)

撮影:四国大学 / 分類:手鑑1-24-1

六樹園艸庵新造狂歌合
五月廿日集 会日追て披露 新宅にて開巻
判者 六樹園
兼題 松 竹 鶴 亀 鳳凰 宝玉 富士山 七福神 神祇 右十題四季名所よミ合思召次第
集冊 ハ八点上出板 十三点上 画上ニさし出し
丈長大番附 ハ五首の点〆にて甲乙を相定め申候/尤左にしるし候ごとく十点上の御哥ハ彩色画像ニ認させ/八点上は御哥のミ短冊ニ相認新宅の壁上ニ長くはり置申候/画像のためニ御年齢御合印はた御好の御注文/御詠草のはしへくハしく御したゝめ被遣可被下候/遠近とも相かハらす御佳作御恵投奉希候/新宅ニて開巻の当日にきハゝしく御枉駕奉待候
景物 東西共 大関 よもきかしま 関脇 はこやのやま 小結 八千代のつハき 幕の内 三千とせのもゝ 二段目 やまちのきく 三段目はまのまさこ
五十にして宅を造らず六十にして衣を製せずといへど
わびしき老の坂路にハ尻かくる宿もなくてあらんやは
また年賀のむしろの客人をむかへんにもぼろ引ずりて
出べきならねば一日も生てあらんほどハ水はなのごふ
かたてにも家も衣もつくるべくぞおぼゆるおのれ飯盛
五とせバかりこなた清澄かもとに膝をいれて處の衆の
かゝりうどゝハ成ぬれどくらひつぶしの名にたゝんもちとハ
うつほの物語楼上にすみぬれバたやすく炬燵も
きりかたく仏壇神棚の遠慮あれバ大つぼ取てまたぐ
にも所せきこゝちぞするやしかのミならず下にハあきものゝ
しな物をならべたれバおのれをとひくる人々のそろばん秤に
けつまずくもあれバかたかたわりなしと思ひとりてこたひ
これを丈山翁の詩仙堂賀茂のなにがしが障子にならひ
て人々の御詠のうちをかしきかぎりを取いでて肖像を
上手の者にかゝせてこれを壁上にかゝげ置て戯笑哥
仙堂とやよびつけてんと手斧はじめの吉日よりぞ思ひ
もくろミわたりたるさらバ明けくれ人々の姿絵を友
とせんにハ翁か隠居もさびしからじ史記にいはゆる
某君の士をやしなへるこゝちすめれどものくはせぬ
だけかすりならんと大工さくわんの中にまじりて
こまひのなハのさくくぐりして心のたけをならぶるになん
                  六樹園
諸国同盟補佐 紀州(2)播州(4)奥州(2)上州、野州(2)、下総。補助諸国 五側総連 阿波石井 六々園 トクシマ 亀の屋其松、以下備前、和泉(2)、伊勢(3)美濃(3)尾張(5)三河、陸奥(7)常陸、出羽(3)越前、越後、上野(7)下野(2)
甲斐(4)信濃、下総、武蔵(5)以下東都補助、書記、補助、の連名有り。
会主 塵外楼石川清澄 六樹園執事 集所 (三け所の中に霊岸しましま東湊丁一丁目 中村屋梅太郎とあり。雅望の孫に当たる。) 入料 十題の内何にても五首詠 南鐐一片 かへ哥一首五?

気づき

〇粕谷宏紀「石川雅望研究」P261によれば「文政三年十月某日 霊岸島の住居に隠居所(書斎)を建てる。また当日、新居披露狂歌会を催す」とあり。これに該当する広告と思われる。
石川雅望傘下の勢力図がよくわかる。春足さんも補助の筆頭に位置しており、主要メンバーであることを示している。

コメント

タイトルとURLをコピーしました