書簡

遠藤宇治右衛門宛て本居左衛士書簡 春足が「学びの広道」(城戸千楯)を褒める書簡を送ったところ左衛士は本人へ送った 鐘の銘出来(?) 故翁都日記三部代金一歩

撮影:四国大学 / 分類:手鑑1-4-2

冷気相成申候所御揃愈御安
福可被成候趣?奉欣躍候次ニ
拙方無事居申候乍慮外御安?
可被下候〇七月二十一日之御状八月
五日相届き候辱拝見致候〇学の広道
ほめ給へる御文御清書慥入手
県千楯かたへ相おくり申候〇鐘の
銘歌又御差越しニ付老父少々
加草出来上申候御落手被下候
〇故翁都日記三部代料金
壱歩弐朱御差越し被下慥ニ入手
いたし申候先は多忙ニ付右御返
事迄如此御座候 以上
        本居左衛士
           清島
九月朔日
遠藤宇治右衛門様

語注

*県千楯 城戸千楯と同一人物か?城戸千楯 安永七年~弘化二年(1778-1845)江戸後期本屋、国学者。屋号恵比寿屋。本居宣長に入門。藤井高尚らと共に京都に宣長学の拠点を作り上げた。萬那備能広道(まなびのひろみち) 城戸千楯述。 
*藤井高尚 明和元年~天保十一年(1764-1840)江戸時代後期の国学者・歌人・神官。本居宣長の門人として文章で最も秀でた。備中の国、吉備津神社の神官。

気づき

○春足が城戸千楯の書いた「学びの広道」という国学の書を読み、その内容を褒める手紙を本居大平あてに送ったと思われ、それを大平は千楯本人に送ったものと見える。この書翰からも春足が本居学派の人々とかなり深い交流があったことがうかがわれる。

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