楽屋二番続
三升か
清正を
せしを
おもひて
橘樹園 早苗
春くれは
第一川に
さきそむる
梅か加藤は
千両役者
応需 北渓画
語注
*早苗 山田早苗 橘樹園早苗(きつじゅえん-さなえ)?~1856 江戸時代後期の狂歌師。江戸赤坂の質商。六樹園(石川雅望(まさもち))にまなび,五側(ごがわ)の判者となる。号は出生地の武蔵(むさし)橘樹郡(たちばなぐん)(神奈川県)にちなむ。安政2年12月9日死去。姓は黒田。名は懿。字(あざな)は徳雅。通称は勝左衛門。戯号は山田(やまだの)早苗。屋号は山田屋。狂歌集に「桜花五百首」,歌集に「花五百首」など。(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)粕谷宏紀著『石川雅望研究』二十四カ所引用。雅望の忠実な弟子だったと思われる。
木村涼先生からのコメント
この「楽屋 二番続」の錦絵は、先日に私がコメントをしました狂歌師の素羅園天馬の歌を載せている錦絵と繋がっているものです。
先日の素羅園天馬の錦絵が右側、今回の「橘樹園早苗」の歌が記されている錦絵が左側に位置します。二枚続きの錦絵なので「楽屋 二番続」と名付けたのかもしれません。絵師も共に「応需 北渓」とあります。
「橘樹園早苗」の歌が記されている右上にも、先日お伝えした五側(ごがわ)の印が赤字で記されています。橘樹園早苗は、六樹園飯盛の門人で五側所属の狂歌師です。
黒地の前にあるのは、七代目團十郎が勤めた加藤清正の衣裳だと思われます。その証拠に、兜や衣裳には、清正の家紋の蛇の目(二重丸)が記されています。
この橘樹園早苗の歌が詠まれている錦絵には、加藤清正の衣裳が描かれています。一方で素羅園天馬の歌が詠まれている錦絵には、瓢箪が記されている七代目市川團十郎の衣服がかけられています。
つまり、右側の錦絵は、七代目市川團十郎の楽屋を表し、左側の錦絵は、七代目市川團十郎が演じている加藤清正を示しています。したがって、「楽屋 二番続」の錦絵は、「役者 七代目市川團十郎」と團十郎が勤める「役名 加藤清正」の2つの要素を表しているものと思われます。
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