書き物

雅望筆 六々園及びその社中の紹介文

撮影:四国大学 / 分類:手鑑2-16-1

六々園は阿波国遠藤氏の号なりとは
さかひはるけき江戸のあたりにてもしらさる
ものはあらさなりされとこゝらの山川をへた
てぬれはルウフルに聞とりかたく遠眼鏡の
およふへきならねは六々といふゆえよしなとは
いかなることともしるものなしおのれいまたかの国
にゆきいたらされとかねて日本の絵図をうち
見て其方角をはかり見るに鯰魚の腰のあた
りとはしりぬ今ハむかしおのれ此あるしのあつ
まくたりにむさしのゝわたりに傾蓋して堀かね
の井のふかきこゝろをくみ見てうれしく水の
ちかつきとハなりぬそれよりのちハ田のもの鴈の

撮影:四国大学 / 分類:手鑑2-16-1

ひたふるに文のゆきかひしけれは夢にたに
見ぬところなから此国中のおもむきハおほか
たよくしりぬまつめぐりのついひちには
八雲やへかきのたかきをくみたて泉水とつき山
には難波津あさか山をならへすゑたり四季に
いろある樹草をうゑわたして楢の葉の落葉
をひろひ近體の花実を賞すもとより
鈴の屋の門にあそひてふりにし道(?)をたつねつれは
世になることハ韓文ともあきれつへしそもそも
陽春白雪を口に誦して高慢に鼻をいからすハ
なへて学者のならひなるを歌膝の丈六を崩して
下里巴人のいけそんさいなるされ歌をしもとなふ
めるは小乗をもて凡夫をみちひく仏の方便
にや比すへからむあるしのつゝしり歌のたへなるに

撮影:四国大学 / 分類:手鑑2-17-1

感じて偏袒右肩合掌してむかひぬるは猿人
右大甚をはしめとして新町橋のとゝろくこと三十
六人の歌よみ人月はかりのほとにあつまりぬさて
なん此ひとつらに六々の名をおはすへくなといひあへ
るときまつ此道のおやにしあれはとてつひにあるしの
その名をさへ六々とはよひそめけるさるハ四条
大納言もうけひき給ふへく石川丈山もうなつき
つへしおのれとほき世界にうまれなから猶この
そのゝゆかしくてとひたちぬへきこゝちするも
あるしの園の花鳥のことなるいろねをしたへ
はなるへし           
              宿屋飯盛書

語注

*ルウフル 拡声器、つまりメガフォン。
*歌膝(うたひざ) 歌人が短冊を持って歌を案ずる時にするように片膝を立てて座ること。立て膝。
*つづしりうた(嘰り歌) 二句ずつ切れ切れに歌うこと。またその歌。(源・末摘花に用例)
*つづしる 時間をかけて少しずつ食べたりしゃべったりすること(日本国大)
*偏袒右肩 仏語。僧が、相手に恭敬の意を表す袈裟の着方で、右肩を肩脱ぎし、左肩のみを覆うこと
*四条大納言 藤原公任のこと。
*石川丈山 安土桃山~江戸初期にかけての武将・文人。

気づき

○春足資料群の中にほぼ同じ内容の書き物あり。何かの序文と思われる。鈴木馨「春足年譜」文化十年の項に「秋、針業右大尽の企にて春日神社に三十六人の像を絵馬として掲げ、六々連と称す」とあり。なお、天保三年(1831)の刊行ではあるが、春足撰の狂歌集『狂歌三十六歌仙』(粕谷宏紀『石川雅望研究』p331)があるが、徳島県立文書館所蔵の同書を見たところ、この文章は見つからない。何の序文なのかについては今後の調査を待つ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました