冬籠り春足文書繙けば/笑ひ満載狂歌書の山
仕掛け(修辞・技巧・工夫)
1 枕詞 冬籠り→「春」にかかる。
2 掛詞 まんさい→満載と万載(万載狂歌集)をかける。
きょうかしょ→狂歌書と教科書をかける。
このようにたいていの狂歌には「仕掛け」が施されている。
それを読み解くのが楽しみの一つ。
1、「遠藤家文書」の概要
遠藤家五代目の当主、遠藤宇治右衛門(狂名、雲多楼・抜足・春足・六々園など)、その弟、遠藤昴美(たかよし 雅号 萃雅)が収集したと思われる江戸時代後期の主に文芸に関する資料群。
資料形態 書冊(版本・狂歌集・自筆稿本等)、軸物(表装されたもの)、書き物(表装されていないもの)、書簡、摺り物(ちらし等)、短冊、錦絵、扇面・団扇、書籍、屏風など多彩。
資料数 書冊も1点、短冊も1点と数えるならば総数2000点を超えると思われる。(今後整理が進むにつれて増えると思われる。)
2、狂歌とは
例 蔦唐丸(蔦屋重三郎)狂歌

夏痩の小川の水をふとらせて
むなきもふらすゆふ立の雨 唐丸
(夏の間、水量が減っていた小川の水を増水させて(太らせて)、おまけにうなぎのような雨粒まで降らせる夕立の雨よ)
【仕掛け】
1 本歌捕り 痩せたる人を嗤咲ふ歌
石麻呂に我もの申す夏痩せに良しとふものそ鰻(むなぎ)捕り喫(め)せ
万葉集巻十六3853 大伴家持
2 縁語 夏痩せ、ふとら(す) → 「むなぎ(鰻)の縁語
狂歌とは
和歌(短歌)の中でこの歌のように滑稽味を含んだものが派生して行き、江戸時代中期、爆発的にブームになったもの。
和歌と狂歌の違い
和歌 風流なもの、美的なるもの、高雅なもの、心情
狂歌 卑近(俗)なもの、諧謔を含んだもの
狂歌と川柳の違い
狂歌 5・7・5・7・7 穿ち、諧謔、機知、風刺、言葉遊び等を含んだもの
歌よみは下手こそよけれ天地の動き出(いだ)してたまるものかは 飯盛
川柳 5・7・5 穿ち(物事の本質を穿ったもの)、諧謔
泣く泣くも良い方をとる形見分け
3、春足はどういう時代に生きた人か?


【気づき】
①狂歌全盛時代の天明期・文化活動上窮屈な時代だった寛政の改革時期を外している。
②春足が比較的自由に文化活動を出来たのは祖父の死(文化6春足28歳)以降。
③この文書に残されている有名人のほとんどは同時代の人。
例外 本居宣長 一世代前
上田秋成 同
蔦屋重三郎 同
画像に描かれた春足
①春足像 軸

諸平
花鳥の 色音をとめて いにしへの
みちのおくさへ 君そわけたる
広輝画
*とめて とむ(尋む、求む、覓む)尋ね求める。さがす。(旺古)
*わけたる わく 判断する。理解する。(旺古)
*花鳥風月(風雅)の真髄を求めて古学の道の奥までもあなたは分け入ったことだ。(山の奥深く分け入る になぞらえて 学問の奥まで極める をかける)
②文政2年春興帖
(出板は1年遅れの文政3年)

これも又 年代記にや しるしなん
星をふらする 梅の下風
*年代記 歴史上の事件を年代順に記録したもの。(日本国大)
*これ(下の七・七)もまた歴史書に記録されることだろう。まるで星でもふらせているように梅の花を散らせている下吹く風よ。
③狂歌作者部類

鼻垂遠藤氏宇治右衛門阿州石井の人商家
雲多楼鼻垂
はらわたを たつてふ猿の さけふころ
ちしほに山の そまるもみちは
*はらわたをたつてふ 腸を断つと言われている 古来漢詩には秋風に叫ぶ猿の声に悲痛な心を託したものが多い。
*古来、断腸の思いがするものと言われる猿が叫ぶ頃(秋)、真っ赤な血潮に染まる山の紅葉葉だなあ。
④狂歌水滸伝

六々園抜足 阿波の国石井の住
遠藤氏豪吏にて家僕多し。
歌学を本居に学び狂歌は五翁の社に遊ぶ
庭中に築山あり。登れは則四方の好景を眺望して
其風流たとへんに物なし。
爰に座して書を読て日毎倦む事をしらすといへり。
たをやめの肌の雪にもつけてけり
もたせて寝たるおのかあしあと
*たをやめ かよわい女性。しなやかなやさしい女性。(旺古)
*たをやかな乙女の肌の雪(白い肌の比喩)につけてしまったなあ。夕べ彼女に持たせて寝てしまった自分の足跡を。
⑤狂歌阿淡百人一首

海棠をさくらのやうにおもふめり
芥子坊主らのをさなごころに
六々園春足
*海棠 海棠さくら バラ科の落葉低木(日本国大)
*海棠を本物のさくらのように勘違いしているようだ。つまらない坊主の幼稚な心に。
⑥乙亥春興帖阿波六々園

阿波 六々園
十五ゝ
源氏なる若菜つむころ鞠よりも
風にくるへるから猫柳
*源氏なる若菜 『源氏物語』若菜上「三月の末、六条の院の蹴鞠に加わった柏木は、たまたま御簾の外れから、今も心を寄せる女三の宮の姿を垣間見てわが恋の叶えられるしるしかと思い乱れるのであった」(新潮日本古典文学集成『源氏物語』)が下敷き。
*源氏物語の若菜じゃないが、若菜つむころ(早春)、鞠じゃなく、風にたわむれている唐猫じゃない、猫柳だなあ。
⑦春興帖阿波六々園

よあるきをしかられもせす梅か香の
下露うけてかへる恋猫
阿波 石井 六々園
*夜毎の(女あさりの)夜歩きを(ご主人さまに)叱られもせず、梅の香りがたっぷりしみこんだ夜露をうけて堂々と帰ってきた恋猫よ。
⑧狂歌歌歌留多

読み札 ウ 雲多楼鼻垂 そのもとは愛より出て藍よりも
取り札 ウ あをうなつたる恋病のかほ
*そのもとは その事の起こりは。初めは。
*「青取之於藍而青於藍」(荀子、勧学)に基づく。
*事の起こりはあの娘(こ)が好きになったばかりに(今では)元の藍よりも青くなってしまった恋病(わずらい)の顔よ。
⑨徳島狂歌人群像図
左上

春足の狂歌


(石井警察署前地蔵台座)
日はいりぬ月はまた出ぬやみの夜の
むつのちまたに君のみそたつ
日はすっかり暮れてしまい月はまだ出てこない闇の夜の暮れ六つのちまた(辻)にあなただけがひとりさびしく立っている
*仕掛け 闇、ちまた、君、立つ → いわゆる「辻君」の縁語。
春足の文章
『白痴物語』(文政11年1828 雅文体笑話集)巻之上

○何かし藤の花を見てたむざくつけたる事
わが里の地福寺といふ寺に、いみじき藤あり。花の長さ六尺ばかりもありて、よにめづらしき藤にてありければ、花さくほどは、遠近(をちこち)の人々つどひきて、ひしめきあひてけり。一とせ、おのれも友だちとともに、此藤ミに行て、酒うる家にしりかけてありけるに、いづくの誰にかあらん、みめことがら、さうぞくなども、いと清らかなるがきたりて、同じ家にいりて、酒のミなどしけるが、しばしありて、かの藤に、たむざくを結びつけてゆきぬ。されバよ、みやびこのむ人にはありけりと、いとゆかしくおぼえて、たちよりて、かのたむざくをミれば、
これハこれハとばかり花のよし野山
といふ人のしりたる句を、さながら書てありけるにぞ、胸つぶれて、あさましくハおぼえし。世にハををこの人もあるものかなとて、友だちとゝもに笑ひをりけるに、とばかりありて、かの人、いきまきてかへりきぬ。あるじうちミて、何をかわすれてはゆき給へるととへば、いな、さることにははべらず。さきのたんざくに、いミじきあやまちしてさふらふままに、かくかへりきてさふらふなり。いで、硯かし給へとて、やがて筆をとりて、かきかへつゝ、さきのたびの御句も、よのつねにはおぼえ侍らぬを、またいかなるところをか直させ給ひたる。いでミせ給へとて、立よりてミはべれば、よしの山といへるを、藤の棚とあらためてありけるにぞ、えたへで、一どに、はとわらひあへりける。
その他
遠藤萃雅(春足の弟)墓碑銘原稿 菊池五山撰文 菊池五山書

君姓遠藤、名昂美、字子喬、称雄藏、堂
曰萃雅、亭曰春色、綾屋、昂斎。皆其別號。
而特以萃雅著。阿波石井人、父名春正、母
多田氏、其兄春足、舊受國学於伊勢本居
大平、自能成家。君資性絶俗、不屑作業、
風流蕭散、惟意所適、最耽画事。年十八、
始赴江戸、就木芙蓉而学、既又遊谷文晁
之門、前後六七年、極得其法。谷嘗語人曰、
海内画人、不堪斗量、某曰善人物、某曰善
山水、非不善也、能免市気者、佰無一二、獨
萃雅於画(之画)、雖不見偏長、到其脱俗處、寔
不愧古之名手矣。此言亦可以(併)想見其為人也。
生平處世、毫無自衒之意、退怯隠黙、如
不勝事、以 逸才奇趣、人莫能知之。頗有王
汝南之風、又愛國歌、其篇什頗多超脱
者。蓋藉家兄薫陶之力(益)也。其在江戸、自製
一帖、遍訪名流、乞書若画、自命曰萃画帖。

鵬斎亀田翁為序之。歸(還)家之後、晨夕展翫、
以為一適。既而罹疾、累歳不愈、以文政四年
丁巳正月十八日歿。享年三十有二。臨終猶手(握)
萬葉集、巻纔離手、気息便(方)絶。其(雅量)従容如
此。不娶無子。葬于同郷徳蔵寺、先塋之次。
法謚曰秀山義恭。春足(深哀其死)、状其
行事、遠来謁余銘。銘曰、
其性如水、其藻如雪、(水逝雪散)雪消水逝、始歸其真。
五山池桐孫撰
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