冬籠り春足文書繙けば/笑ひ満載狂歌書の山
仕掛け(修辞・技巧・工夫)
1 枕詞 冬籠り→「春」にかかる。
2 掛詞 まんさい→満載と万載(万載狂歌集)をかける。
きょうかしょ→狂歌書と教科書をかける。
このようにたいていの狂歌には「仕掛け」が施されている。
それを読み解くのが楽しみの一つ。
春足はどういう時代に生きた人か?
【気づき】
①狂歌全盛時代の天明期・文化活動上窮屈な時代だった寛政の改革時期を外している。
②春足が比較的自由に文化活動を出来たのは祖父の死以降。
③この文書に残されている有名人のほとんどは同時代の人。
例外 本居宣長 一世代前
上田秋成 同
蔦屋重三郎 同
春足年譜
①20歳ごろ和歌に興味を持ち始める。
和歌・古典への関心
「百人一首初山踏」→「古今集打聴」→「同遠鑑」
→「伊勢物語古意」→歌よりも文章→「源氏物語玉小櫛」
→「伴高蹊訳文童諭国文世?跡」「鈴屋集」「日本書紀」
「古事記伝」「万葉集」→ふかく吾国のいにしへしのふこころいてきつつ
いかて皇国の神の道をも明らめしらまほしくおもうようになり
→鈴屋翁の著作→長歌・短歌試みる
②寛政四年(11歳) 父・母、相次ぎ死去。祖父の後見で家督を嗣ぎ、五代目遠藤宇治右衛門を名乗る。
③文化五年春(27歳) 金比羅参詣・旅日記「袖の家つと」二巻
誹諧歌めいたもの一ツ二ツ詠み入れた。
④文化六年(28歳) 祖父死去。
⑤文化七(29歳) 六樹園入門
素麺一箱
花もなき夏の梢にそよとふく
風のたよりそうれしかりける 雅望
⑥文化九年(31歳) 大平入門
「徳島人里春竹房両人ゟもすすめられ候由にて此度入門の思召
にて詠草并道の御問等御見せ被成」
⑦文化九年(31歳)春、江戸下向、初めて六樹園に会う。
「万代狂歌集」24首入集。
⑧文化十年(32歳) 六々連・六々園発足。
⑨文政九年(45歳) 雅言集覧大平序文仲介
雅言集覧刊行予告・源注余滴校合中(文政元年頃?)
雅雄、遠藤家逗留(2-12-2)
雅言集覧序文本居大平へ依頼の件(2-12-3)
雅言集覧校合中・源注余滴・あつまなまり進行具合(2-5)
雅言集覧の校合に専念(2-5-1)
やるき失う(2-8-1)
再び専念(2-8-2)
狂蝶子文丸書簡仲介御礼(1-28-1)
雅言集覧校合すり送付(2-14-2)
雅言集覧するたて送付 大平の序文催促(2-13-4)
大平序文引き受けの知らせ(2-13-3)
大平序文受取(2-14-3)
雅言集覧四之巻 一部南鐐一片(五老書簡1-6-2)
雅言集覧大平へのお礼として水晶印壺贈った(2-27-3)
現在遠藤家に残っている「雅言集覧」
⑩文政十二年(48歳)江戸大火 八丁堀出店消失。
⑪天保五年(53歳)死去。
画像に描かれた春足
①春足像 軸
諸平
花鳥の色音をとめていにしへの
みちのおくさへ君そわけたる
広輝画
②文政2年春興帖
(出板は1年遅れの文政3年)
これも又年代記にやしるしなん
星をふらする梅の下風
③狂歌作者部類
鼻垂遠藤氏宇治右衛門阿州石井の人商家
雲多楼鼻垂
はらわたをたつてふ猿のさけふころ
ちしほに山のそまるもみちは
④狂歌水滸伝
六々園抜足 阿波の国石井の住
遠藤氏豪吏にて家僕多し。
歌学を本居に学び狂歌は五翁の社に遊ぶ
庭中に築山あり。登れは則四方の好景を眺望して
其風流たとへんに物なし。
爰に座して書を読て日毎倦む事をしらすといへり。
たをやめの肌の雪にもつけてけり
もたせて寝たるおのかあしあと
⑤狂歌阿淡百人一首
海棠をさくらのやうにおもふめり
芥子坊主らのをさなごころに
六々園春足
⑥乙亥春興帖阿波六々園
阿波 六々園
十五ゝ
源氏なる若菜つむころ鞠よりも
風にくるへるから猫柳
⑦春興帖阿波六々園
よあるきをしかられもせす梅か香の
下露うけてかへる恋猫
阿波 石井 六々園
⑧狂歌歌歌留多
読み札 ウ 雲多楼鼻垂 そのもとは愛より出て藍よりも
取り札 ウ あをうなつたる恋病のかほ
歌かるたへも御佳作加入
仕候事にて候但そのもとは愛より出てと申
御歌なり
⑨徳島狂歌人群像図
左上
春足の狂歌
どういう形で残っているか?
・春足狂歌百首(書冊)
・誹諧歌五十首(書冊)
・短冊
・軸
・翻刻「吉原十二時」「万代狂歌集」
・書き物(軸にするつもりだったか?)
全部で500首くらい残っている。
春足の狂歌①
嵐山花
あらしよりくたす筏は猶にくし
ちりうく花をまたもちらせは
春足の狂歌②
人々とともに眉山の花を見て
人ハみな老をわすれて見る花に
なとてましろになれるまゆ山
春足の狂歌③
寄帯恋
繻子のおびとひて寝てからまたしゅすの
やうなはたへをしめるうれしさ
春足の狂歌④
桜狩
たんさくの其大鷹を手にすへて
さくらかりゆく春の宮人
春足の狂歌⑤
あさがほ(シュンの字 16画)
千世かいふつるへはかりかこゝろまて
今朝はとらるゝ牆の朝顔
春足の狂歌⑥
たをやめの川わたるところ
御簾よりもすそをかゝけて高炉峰の
ゆきのはたへを見するたをやめ
春足の狂歌⑦
すきものといはるゝもむへ雪の夜も
いとはて寝やにかよふうめかゝ
春足の狂歌⑧
旅宿花
かくはかりたちはおくれし旅衣
花をあるしのやとりならすは
春足の狂歌⑨
始皇本紀をよみて
秦の代のつひほろひしもことはりや
始皇の阿房超高の馬鹿
春足の狂歌⑩
日は暮れぬ月はまた出ぬ闇の夜の
六つのちまたに君のみそ立つ
春足の文章
残された目録
A 「六々園著述目録」(「白痴物語」最終ページ広告)(「東日記」最終ページ広告)
春屋集 前編三冊 哥の部 文の部 誹諧哥の部
春屋詠艸(春屋集と同一か?)(P2101598)
春屋随筆 初篇二冊(三冊)
白痴物語 全二冊 巻之上「何かし藤の花を見てたむざくつけたる事」別資料3
同拾遺 二冊
猿蟹物語 一冊 チラシP09021 表紙P20202055 猿蟹物語P2020214 P2020221
桃太郎物語 一冊
一力物語 二冊
中古笑話 前編二冊、後篇三冊
中古俗語考 三冊
吾嬬乃日記(東日記) 一冊 P2020003
同 附録 一冊
宇治能須佐備 初篇三冊(十冊)
B それ以外
難後言 一巻(「日本随筆大成」第三期第六巻)(吉川弘文館昭和五十二年) 難後言 (清石問答について(2-33-3)
六々園漫録
六々園狂歌集など。(以上「難後言」解題)
宇治のすさひ(広告だけ)
宇治のすさひ(「宇治のすさひ大感心、面白く覚え候。今四、五冊ばかり有之候はばよろしく存候。」(文政六年十一月二十一日付、
春足宛て雅望書簡。
「本書は企画に終わり、刊行されなかった。」粕谷281ページ 2-33-3 チラシP2090115)
桃太郎物語狂歌合 六々園撰 賀茂季鷹序 チラシ (P2101554 )
芳野物語(前三冊後三冊)(P2020039)
春足の文章①
白痴物語(文政十一年)
菊池五山漢文序(3-11-1)
六樹園 和文序(3-10-3)
巻之上「何かし藤の花を見てたむざくつけたる事」(同 挿絵)
春足の文章②
吾嬬(東)日記)(文政七年1824)
(P2020036 箱根越え)
(同 行程図)
春足の文章③
難後言(天保三年1832)
清石問答
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