抜六 最近、ようやく見つかった六々園漫録ですが、大変興味深いことが書かれていました。
遠藤 いつも解読ありがとうございます。どんな面白いことが書かれていたんですか?
抜六 たとえば、春足さんにとって狂歌がどういうものなのか、狂歌と和歌を比べているところがあるんです。
和歌も狂歌も、形式は五七五七七で作られるんですが、和歌は「雅なるものを雅に歌う」のに対して、狂歌は「俗なるものを雅に歌う」と春足さんは考えていたようです。
遠藤 「俗なるもの」ですか、具体的にはどんなものが俗なるものなんです?
抜六 それについて春足さんは例を出して説明しています。春足のお師匠さんの六樹園の狂歌ですね。
山城の/小はたの里の/馬ほとに/太鼓をそうつ/君を思へは
この狂歌の意味、わかりますか?
遠藤 えーと、田舎の山村に畑があって、馬もいる。太鼓を打ってるから、お祭りですか?
あとは…、「君を思えば」が何なのかちょっとわからないですね…。
抜六 それじゃあ、これは宿題にしましょう。元歌があるので、それも調べてみてください。歌が表している情景は結構下ネタに近いかな。まあ、だから俗なるものなんですね。それではまた次回。
ーー後日の集まりにてーー
遠藤 あの歌の元ネタを調べてきました。
山科の/木幡の里に/馬はあれど/徒歩よりぞ来る/君を思へば(拾遺集、雑恋1243、柿本人麻呂)
現代語訳:馬で越すような険しい京都の木幡山を人目を忍んで徒歩でやってきた。あなたへの思いがあふれて。
※「人目を忍んで徒歩でやってきた」は「近道を苦労して徒歩でやってきた」と解釈しているものもあり。
元歌の方は恋路という雅なものを雅に歌っている感じがしますね。うん、よくできた和歌だなぁと感心してしまいます。一方で、六樹園さんの歌は結局「太鼓」が何のことなのかわからなかったです…。教えてもらえますか?
山城の/小はたの里の/馬ほとに/太鼓をそうつ/君を思へは
抜六 この「太鼓」ですが、馬のマラ(ちんちん)って大きいじゃないですか。それをブランブランさせてお腹に当てると音が出る。それを太鼓の音に見立てているわけですね。もちろん、マラを大きくして、太鼓を叩いているのは、雌を思ってのことだとしているわけです。
遠藤 はぁー、なるほど。太鼓はそういう意味でしたか…。確かに、これは俗なるものですね。
抜六 このような俗なるものを雅に歌うのが狂歌だと春足さんは六々園漫録で述べているわけです。そして、そのような狂歌を学びたいのであれば、雅に歌う方法も学ばなければいけない、つまり和歌もよく学ばないといけないよと、この六々園漫録では言っているわけですね。
狂歌のこゝろえ
和歌ハ古の風情なれハ古の雅言をもてつゝり 狂歌
ハ今の風情なれハ?今の俗言をもてつゝることなれと
其風情においてハ昔も今もかハることなきもの
なれハ 是を学はんことハたゝ古歌の意を得るにあ
るなり されハ狂哥をよまんとならハ 先ツ三代集 古今
六帖 新古今集 草庵集 等をうまく味ひ 其古歌を
よくこゝろにしめおきていうにハいかなる俗談平
話なりとも用??へきなり されと其俗談平話
を用ふるにもまた用ひやうのあるなり/かの鈴屋
※「かの鈴屋」以降、用い方についての説明が行われているが、長くなるので引用はここまで。詳細については『六々園漫録 第一巻』の「狂歌のこころえ」参照。
遠藤 なるほど。なかなか春足も良いことを言ってますね。教えていただいてありがとうございますー。
抜六 どういたしまして。また新しい発見があったらお知らせします。楽しみにしていてください。
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