猿蟹物語
むかしいと大きなる猿と蟹とありけりかたみに
あるやまのふもとをゆきめくりけるにさるハ柿の
さね一つをひろひ蟹ハやきいひ一つをそひろひ
えたる猿これを見てうらやましくやおもひ
けむそのやきいひ此柿のさねにかへねといへは
蟹おもふやうやありけんむといらへてかへぬさて
蟹ハやかて此さねをその山のふもとにうゑて
其核にむかひていふやう柿よ柿よとくはえよはえよ
さらずは我はさみもてはさみきらましと
いへばすなはちはえ出ぬまた此みはえに
むかひてとく大きくなれ大きくなれさらずハ
我はさみもてはさみきらましといへは
すかすかとのひて見あぐるばかりになりぬ
また此木にむかひてとくみなれミなれさらす
はわか螯もてはさみきらましといへバやがて
みなりて枝たわむはかりになりぬまたこの
実にむかひてとくうまくなれうまくなれ
さらずは我螯もてはさミきらましといへバ
いとあかくそこらてるはかりになりぬされと
蟹ハ木にのほるへきよしのあらざれはいかが
せましとおもひわづらふほとにゆくりなう
かの猿の出きぬれは蟹ハよろこひつつまし
いかで此柿とりてたべむくひにハ十が五つを
まゐらせんといへば猿ハむといらへてするする
と梢にのほりぬさて此柿とるまゝにおのれ
みなうちくひて蟹にハ一つをたにあたえ
されは蟹ハしきだいしてわか佛わか佛いかで
其柿われにもたべといへば猿はいまとてその
中にことに青きをとりてなけおとしぬとりて
見るにいみしう青くてくふへうもあら
ねはうちなきてこハあまりになさけなし
いかてわれにもそのあかくなりたるを一つ
たへといへばいでいでとらせんといふまゝにまた
いと青く大きなるをとりてはたとうち
あてぬれバ甲ひしげてしゝぬ猿ハかう
蟹をころしぬれはおもひのまゝに柿うち
くひてあまれるはみなおのれか腰にとり
つけてもていにけるこのしにつる蟹のはら
にいとちいさき子ありてうこめきけるかやう
やうはひ出て穴にいりぬさてとし月を
へていと大きくなりければいかておやの仇
うちてんとおもひてミづから黍団子といへ
るものをいとおほくてうじて腰にとりつけ
つゝかの猿の住といふ山さして出たちぬさて
山路わけゆくほとに道のほとりにいと大きなる
栗の実あり此蟹を見て主にハいつくへか
ものし給ふとゝふわれハはやう猿のためにおやを
ころされたれハ其仇むくハんとおもひてかく
出たちぬといへは其御腰にものし給へるハ
いかなるものにかさふらふとゝふこハ天の下に
二つなき黍団子といふものなりといへバ一つ
たべ御ともつかうまつらんといふさらはとて
一つとらせけれハしたがひつゝゆくにまた道
のほとりにいと大きなる蜂をり蟹を見て
はしめのやうにいへば蟹もまたまへのやうに
いらへつゝこれにも団子一つをとらせてしたがへ
ゆくにまたなめらかなる牛の糞ありまた
大きなる杵また大きなるうすなとつぎつぎに
出ゐたりみなはしめのやうにいへは蟹もまた
まへのやうにいらへておのおの一つつゝを
とらせつゝしたがへゆきてかの猿のすむ
いほりにいたりぬ猿は山にいでていほりには
あらぬほとなれバ蟹はおりよしとおもひ
てまづ栗をよびてましは地火炉のうちに
ふしてあれといへばうけ給りぬとてゆきぬつき
に蜂をよひてましハ秦太瓶のほとりにあれと
いへは是もうけ給ハりぬとてゆくつきに牛
の糞をよひてましハはひりのくちなるしきミの
うへにあれといへばこれもうけ給ハりぬとてゆく
つきに杵をよひてましハ金戸のうへなる
なけしのうへにあれといへば是もうけ給ハり
*秦太(しんだ)瓶 味噌を入れる壺。(国史大辞典・日本大百科全書)
ぬとてゆくいとはてに臼をよびてましハ屋の
うへにあれといへはこれもうけハ給りぬとてゆ
きぬそハ用意ことごとくそなハりけれハ蟹ハ
床の下にはひいりてかくれをりさて猿は
何のこゝろもなうかへりきて例のやうに
地火炉のもとにさしよりて火かきおこし
股うちはたけてありけるにかの栗はちはちと
なりつゝはねて猿のふくりをやきぬ猿は
いミしうあわてまどひつゝ味噌をとりて
此火傷につけんとおもひてくりやにはし
りゆきて秦太瓶の中へ手をさしいれ
けれハかの蜂まちとりてその腕をしたゝかに
さしぬ猿ハあと叫びつゝなほくすり
とらんとやおもひけんはしりて外に
出ゆくにふとかのしきみのうへなる牛の糞
をふミけれはのけさまにどうとたふれぬ
此ときなけしのうへにかの杵おちくだり
て猿のかしらをうちくだけばつゝきて
屋のうへなる臼ころころとまろびおちて其
腰をうちをりぬ今はうごくべうもあら
ねばいきのしたにて妻子ハあらぬかとく
きてわれをたすけよといふとき床の下
より大声をあげてはやうわおのれかために
ころされたる蟹の子こゝにありいでおやの
仇むくひてんといふまゝにはひ出てかの猿の
手あしよりかしらにいたるまできだきだに
はさみきりておもひのまゝにほいとけて
かへりぬとそ父母の敵にはともに天を不戴
といふことかゝるものまてもしりけるにこそ
六々園のあるし
春足
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