岡月
いつとしもわかぬ梢に
さす影も月は秋なる
岡のへの松 宣長
遠藤春足の子かわか翁のかゝれたる
岡月の歌見せてちかきころは鈴屋
大人の筆の跡なりとてよからぬものゝ
いつはりかけるか世におほくて人々の思
ひうたかふをそのあかしになるへき一
ことそへよといひおこせるによく
見さためて
松枝のさしもしられてさすかけの
わかぬことなき岡のへの月 大平
語注・気付き
○A18-2 文意は「遠藤春足さんの子から「岡月の歌」(A18-1)の軸物を送ってきて、『これは本居宣長翁が書いた真筆ですか。近頃は宣長翁の書いたものとして偽筆が多く出回って、人々が真筆か偽筆か疑いますので、もし真筆なら何か(真筆であることを証明する)一言を書いてもらえませんか」という依頼があった。そこでつぎのような歌を詠んだ。
松の枝にさす月の光はよく知られているまがうことなき宣長翁の「岡のべの月」の歌である」というもの。A18-2はA18-1が宣長の真筆にまちがいないと保証する内容になっている。
徳田武氏ご教示分
いつとしもわかぬ梢に
さす影も月は秋なる
岡のべの松 宣長
遠藤春足の子がわが翁のかかれたる
岡月の歌見せてちかきころは鈴屋
大人の筆の跡なりとてよからぬものの
いつはりかけるが世におほくて人々の思
ひうたがふをそのあかしになるべき一
ことそへよといひおこせたるによく
見さだめて
松枝のさしもしられてさすかげの
わかぬことなき岡のへの月
大平
口語訳
何年たったとも分らぬ古い梢に指す光も、秋の月のそれである岡の辺りの松であることよ。
遠藤春足殿が、我が宣長翁の書かれた岡の月の歌を私に見せて「近頃は鈴屋大人の筆跡である」と言って、宜しくない者が偽って書いた書が世間に多く出まわっていて、人々が疑わしく思うので、その正しさを証明することができる一言を添え書きせよ」と言い寄越したので、私は良く真偽を見定めて、
松の枝がさすがに明らかに知られるほどに射す月光によって
見分けられない事が無い岡の辺りの月であることよ
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