書き物

第五隆(野呂介石) 山水画

撮影:遠藤雅義 / 分類:20231009-K14

壬午(?)仲秋?野写於矮梅居
  七十六歳老人第五隆

語注・気付き

*野呂 介石(のろ かいせき、延享4年1747年~ 文政11年1828は、江戸時代後期の日本の文人画家である。紀州藩に仕え、祇園南海、桑山玉洲とともに紀州三大南画家と呼ばれている。名ははじめ休逸(きゅういつ)であったが、のちに改名して隆(りゅう)または隆年(りゅうねん)のふたつの名を混用した。字を松齢(しょうれい)、号は介石のほかに斑石(はんせき)、十友窩(じゅうゆうか)、澄湖(ちょうこ)、混斎(こんさい)、台嶽樵者(だいがくしょうしゃ)、第五隆(だいごりゅう)、晩年になって矮梅居(わいばいきょ)、四碧斎(しへきさい)、四碧道人(しへきどうじん)、悠然野逸(ゆうぜんやいつ)と号している。通称を弥助(やすけ)、後に九一郎(きゅういちろう)、喜左衛門(きざえもん)と称した。(wiki)

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