南にかけひあり岩をたゝみて水をためたりはやし軒ちかけれは
つま木をひろふにともしからす名を外山といふまさきのかつらあと
をうつめり谷しけゝれと西は晴たり観念のたより無にしもあらす春
は藤なみを見る紫雲のことくしてにしの方に匂ふ夏は郭公をきくかた
らふことにしての山路をちきる秋ハ日くらしのこゑみゝにミてり空
蝉の世をかなしむときこゆ冬は雪をあハれむつもりきゆるさま罪障に
たとへつへしもし念仏ものうく読経まめならさる時はみつからやすミ
みつからおこたるにさまたくる人もなく又はつへき友もなしことさ
らに無言をせされともひとりをれハ口業ををさめつへしかならす禁
戒を守るとしもなけれと境界なけれはなにゝつけてかやふらむ
享和のふたとせといふ年のきさらき
平春海書 芳中写し
語注・気付き
*享和のふたとせといふ年のきさらき 享和二年1802二月
*本文は鴨長明「方丈記」第三段からの引用。
*平春海 村田 春海(むらた はるみ、延享3年1746~ 文化8年1811は、江戸時代中期から後期にかけての国学者・歌人。本姓は平氏。通称は平四郎。字は士観(さちまろ)。号は織錦斎(にしごりのや)・琴後翁(ことじりのおきな)。賀茂真淵門下で県居学派(県門)四天王のひとり。(wiki)
*芳中 中村芳中 ?~1819 江戸中期から後期の絵師。琳派に分類される絵師であるが一般に華麗、装飾的と呼ばれる琳派にあって、素人風ながらユーモアある表現で大坂画壇に独特な存在感をもつ絵師である。(wiki)
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