書き物

西宜行 書き物

以下の翻刻・訓読・現代語訳・注釈は徳田武氏のご教示による。

撮影:四国大学 / 分類:20230909-J72

(酬鴻臚裴主簿雨後
 睢陽北樓見贈之作)
暮霞照新晴
歸雲猶相逐
有懷晨昏暇
想見登眺目
問禮侍彤襜
題詩訪茅屋
高樓多古今
陳事滿陵谷
地久微子封
臺餘孝王築
裴回顧霄漢
豁達俯川陸
遠水對秋城
長天向喬木
公門何清靜
列戟森已肅
不歎攜手稀
恆思着鞭速
終當拂羽翰
輕舉隨鴻鵠
右王少伯作
     西宣行書

訓読

鴻臚裴こうろはい主簿しゅぼの雨後にすいようの北樓に贈らるの作に酬う)
暮霞 新晴に照らされ
歸雲 猶ほ相逐ふ
晨昏の暇を懷ふ有り
登眺の目を想見す
禮を問ひて 彤襜(とうせん)に侍し
詩を題し 茅屋を訪ふ
高樓 古今多く
陳事 陵谷に満つ
地は久しくして 微子封ぜられ
臺餘りて 孝王築く
徘回して 霄漢を顧み
豁達 川陸に俯く
遠水 秋城に對し
長天 喬木に向かう
公門 何ぞ清靜たる
列戟 森として已に肅たり
歎かず 攜手の稀なるを
恆に思ふ 着鞭の速かなるを
終に當に 羽翰を拂ひ
輕舉して 鴻鵠に隨はん
右は王少伯の作なり
     西宣行書

現代語訳

雨が晴れて夕焼けが照り、
雲はなおも追いあって消えて行く。
朝夕に閑を見出しては、
楼に上って眺める事を思う。
赤い膝掛けをした貴殿に侍って礼を問うと、
貴殿は詩を作って我が家を訪うて下さる事もある。
貴殿の高殿には古今の事跡が多く積み重なり、
邸がある峰や谷は故事で満たされている。
その土地は久しく在り、殷の微子のような賢人の貴君が領主となり、
高台は十分に広く、梁の孝王のような名君のあなたが建築なさる。
夕べに一帯を巡っては天の川を仰ぎ、
伸び伸びとして川や陸を俯瞰する。
遠くの川が秋の城に向かいあい、
高い樹の上に遥かに天空が広がる。
貴殿の門は何と清らかで静かな事か、
戟が沢山に厳めしく連なっている。
共に手を携える事が希なのを嘆かない、
鞭を振るって駆け付けて下さるのが早い事を常に有り難く思う。
いつまでも羽翼の塵を払って、
鵬のような貴殿に従って飛びたいものだ。

注釈

〇『全唐詩』巻二百十一では王昌齢の作とし、『唐詩品彙』巻十、王昌齢にも収まる。しかし、高適(せき)の集にも収まり、劉開揚の『高適詩集編年箋註』百六頁には、王昌齢に睢陽に於ける作詩は無く、高適作とすべきだ、と言う。
〇西宣行のぶゆきは、徳島城下で眉山の麓に住んでおり、貫名海屋の少年期の師であった人物。

徳島市沖浜町にある西宣行の墓

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